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2014年09月12日

CLIE PEG-TJ25

CLIE TJ25 ちびっと用事があって、久々にPalmを取り出してみました。PalmといってもSONYの互換機であるPEG TJ25。通称ClieTJ25です。

 PalmはたしかPalmPilotProにJOS入れたから使ってました。1998年くらいなのかな?今どきの人がやってる液晶をスルスルとなでまわすような行為を15年以上前からやってたんですよ。

 すげー便利で連絡帳とスケジュールとTODOリストだけでも使い倒していたのですが、その後IBMのWorkPad 31J→C3Jと来て、最後はClieのTJ25を2台使いつないだ末、とうとうiPhoneの軍門に下ってしまったのでした。

 Graffitiっていう入力方法がすごくいい。今のiPhoneの入力なんかより速かったと思いますよ。懐かしいなあ。

 結局、電源アダプタのエクステンションが見つからなくて、起動はまた後日になったのですが、PalmOSが無くなったのは本当に残念だなあ。
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2013年12月20日

RG250γ

RG250γ 「東本昌平 RIDE 79」買いました。本屋でぶらぶら歩いていたら、青白のスズキスキームが私のハートを直撃です。

 東本はさ、やっぱり基本的なテーマが「おっさんの懐古」だから、やっぱりこの年になるといろいろとしみるよね。「SS」では「みみずってえらいなあ」と泣きましたし、公孫樹でまた泣きましたよ。あたかも劣化したゴムの様な私です。年取っていく中でいろんなものに流されてきた負け犬たちのワンス・アゲイン!そりゃ泣きますよ。

 80年代、あの疾風怒濤の時代に青春を送った人間には、80年代初頭の狂乱のスーパースポーツ百花繚乱の世界を見ていないものはいないと思います。RZ350から始まって、CBX、RZR、MVX、GSX、GPZ、そしてRG250γで到達するレーサーレプリカの時代。

 γって何て読むかって?ガンマですよ、ガンマ。「アールジーニヒャクゴジュウ、ガンマ」。ギリシャ語でゲライロ。「栄光」の頭文字ですよ。RGγって500ccのレーサーがあったんですよ。それの市販車版。500/400と250と50がありました。あ、125もあったっけ。マイナーw

 「RG250γは250ccのRGγだ」っていうフランコ・ウンチーニの名言がありましたよね。わけわかんないか。でもあったんだよw

 やっぱりね、2ストは青春に似合うんですよ。オイルをバラまきながら、安いクォーターでかねもちのナナハンを食う。そのピーキーな生き様は、走りだしたら止まらない土曜の夜の天使だった我々の心には、スーパーフィットだったのです。たとえツーリングで必ず最後尾を走らされたとしても、ね。

 ウンチーニが死んじゃったのもこのころだったと思いますが、キングケニーはぎりぎり現役だったのかな。スペンサーとか色々いたよね。レースの記事もよく読みました。鈴鹿の4耐が一番面白かったな。ヨシムラVSモリワキとかさ。当時スーパーノービスと呼ばれた宮城光なんか今でも現役だって、すごいよね。

 当時、スズキホンダヤマハカワサキの4大メーカーのどれに乗るか、というのは自分の血液型を決めるようなもんで、それは難しく楽しい問題ではあったわけですが、RG50Eに乗ってた私はずっとスズキ派でした。

 RGわかる?「さらば愛しきルパンよ」で銭形にばけたルパンがラムダを追いかけてかっ飛ばすのが赤いRG250Eですが、あれの原付版ね。形はほぼ同じ。空冷50で、多分RG50γの原型になったバイクですが、下りの追い風ならばかるく90km/hくらい出ました(どこが軽くだ)。高校時代から青いのに乗ってました。当時はノーヘル合法だったんですよ。おっかねえ。今でもノーヘルで原付に乗る夢見ますよ。

 で、後に発売されたRG50γ。これがまたすげーかこいい。RG50Eもかっこよかったんだけれど、γはアルミ角断面ダブルクレードルフレーム。セパハン。バックステップ。すごいよ。かこいいよ。あれに勝ちたくてスガヤの水冷ヘッドキット買おうとしたところで、バイク泥棒に盗まれちゃって、未遂に終わりました。だから私はいまでも、一生、死ぬまで、断じて尾崎豊を許しません。

 γはずっと欲しくて、いまでも欲しいんだけれど、その後V型ツインのγとかもあったらしくて、今はパラガンとか呼ばれているらしい。もう旧車も旧車、消耗の速い2ストでもあるから、30年もたった今では程度のいいクルマはもう手に入らないかもしれないね。ハーベーカラーの黄色とか、ウォルターウルフの黒とかありましたが、私は断然青白だな。

 やっぱり青春は遠くにありて思うもの、なのかもしれません。

 γは買えないかもしれないけど、青白のGSX-Rくらい、買おうかなあ。


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2013年02月24日

中島みゆき&谷山浩子のオールナイトニッポン

オールナイトニッポン45周年 オールナイトニッポン45周年記念だそうで、むかしのパーソナリティが特別番組をやっています。私は中島みゆきと谷山浩子をずっと聞いていたので、土曜深夜27時から29時までがんばって聞きました。みゆきが1時間、浩子さんが1時間それぞれやってくれましたが、もう昔のまんまです。

 ふたりとも全然変わってないな。それにしたって61歳と57歳ですよ。浩子さんなんてこんなですよ。正直、怪物ですw

 当時は受験生、1部/2部両方聞いて、ラジオ講座聞いてから学校行ってました。いつ寝てたんだろう。今思うと不思議ですが、それでも勉強も少しはしていたみたいですから、やっぱり若かったということでしょうか。

 長野でニッポン放送を聞くのは至難の業で、ラジオの位置やら向きやら、揚句は自分の座る位置と手の位置まで決めて聞いていました。これで感度が違うんですよ。テルミンの原理がすぐに理解できた、とか言う人もいましたから、みんなやってたんですね。

 今回はPCのradikoで聞きましたが、ノイズのないAM放送ってすごく不思議な感じ。リアルタイムで聞きましたからPodCastの配信とはまたちょっと違った感じです。Twitterでわあわあ言いながら聞きましたが、放送を聞いている人とradikoを聞いてる人、モバイルで聞いているひとなど、環境によって配信にずれが生じるのが今どきのデジタル風で変なことに感心したりしました。

 Twitterつらつら見ていたら、SF翻訳家の大森望氏がむかし編集者として新潮社版の「猫の森には帰れない」を担当してて、ニッポン放送に通って打ち合わせしてた、とかすごいこと言っててびっくりしました。そんなことあったんですねー。意外!

 ところで、みゆきさんから大発表、4月から月イチでオールナイトのパーソナリティを再開するそうです!すげぇ!聞くし、ぜったい聞くし!と思ったら、なんと日曜2部だそうです。

 なにそれ月曜早朝03:00〜05:00ですか。どんなサラリーマンキラーなんですか。でもなんとかして聞きたいなあ。

 オールナイトのジングルを聞くと、それだけで若返る気分です。

 ああ、面白かった。
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2012年11月06日

あ〜る復活

あ〜る復活 ぼくらのヒーロー、究極の超人・あ〜るが一号限りの復活をしました。昨日11月5日発売の週刊ビッグコミックスピリッツ49号に東日本大震災復興支援プロジェクト「ヒーローズ・カムバック」の一環として執筆されたのです。

 あ〜るがなぜ震災復興支援になるのかわかりませんが、とにかく昨晩は元光画部を自称する人たちが本屋へ殺到。どこの本屋でも晩にはスピリッツ発売日に売り切れという状況だったようです。

 かく言う私も、スピリッツなんて四半世紀ぶりの購入です。前回買ったのは昭和時代だった気がします。それにしてもまだ「美味しんぼ」とホイチョイプロの「気まぐれコンセプト」が続いていて驚きました。

あ〜る復活 昔大好きだった漫画、今でも新作を読みたい漫画はたくさんあります。でもその思い出には当時の世相、風習、文化、それと自分の年齢と感受性が含まれているのです。

 あの頃の「あ〜る」はあの時代にしかあり得ない存在なのです。もしかしたら現代版の続編も面白いかもと思う人もいるかもしれないけれど、現代の文化に投げ込まれて当惑するあ〜るなんてのは見たくありません。

 パルコのCMネタの面白さなんて、今の世の中には伝わらないでしょ。BASIC笑話集を読む面白さなんて誰にもわからないよ。

 スマホ使ってる光画部なんて想像もできないし、それでは光画部時間が守れないではないか、という声はまったくもって正論です。光画部時間を守らない光画部は光画部ではないし、つまりは2012年の現代には光画部は存在しえないということですよね。

04243.JPG だから一号限りの復活に劇中劇である「コウガマン」ネタを持ってきたゆうきまさみはまさに正しい判断をしたと思うのです。

 担当のいうように「素直にあ〜る描けばいいんですよ」と思う人もいるかもしれませんが、高校文化部まんがとしてのあ〜るはもう描きようがない。無理に描けばテイストの違うものにならざるを得ないのではないでしょうか。

 色々と世の中も行き詰ってきて新しい物語を作るよりは手っ取り早く昔のマンガを復活させたいと思う人は多いようです。二世モノとかよく使う手ですね。流行した昔の漫画の当時のテイストを現代に持ってくるのに、「主人公の子供」を使う手。

 で、やることは同じ。「リングにかけろ」とかやりましたね。あれはどうなんだろうなあ、と思います。懐かしいと言えばそうなんだけれど何か閉塞感ありますよね。ヤマトだって沖田艦長が生き返ったりとかしましたけど、ああいうのはどうかと思います。

 あの流行、盛り上がりは、きっと読み手の中のあの時代にしかなかったあれこれとシンクロした結果なんだと思います。その当時の読者は今もいるだろうけれど、年も取ったし環境も違う。いくら昔が楽しかったからと言っても、懐古の想いだけで生きてはいけるものでもない。

 だから現代の社会にあ〜るが現れるといったような「究極超人あ〜るライジング」とか「究極超人あ〜るビヨンド」とかのそのまんまな続編はあり得ないと思います。そりゃまあ想像すると楽しいけどね。

 「あ〜る」はメカ成原の脅威ととも去ったあ〜るがこっそり戻ってきましたよ。というところで終わったままが、やっぱりいいです。

 「あ〜る」を復活させる。私はそのために子供たちに「あ〜る」を読ませてみました。雪風も秋月も小学校高学年になった頃に読ませました。なんかすごく受けてる。伝わってるじゃないか(笑)。

 海に行けばあ〜る描くし、昨日も秋月は東京に社会見学に行ってましたが「バスガイドの女の人、毛利さんみたいじゃなかったな」とか言ってやがって、ああ、ちゃんとおかゆライスな少年になってるなあと安心しました。

 雪風も修学旅行の時はちゃんとあなたとなら大和路!とあ〜るで予習して、粉砕バット持って行ったっけな。

 今でも我が家ではそう言った光画部ネタが炸裂していて、お母さんは目を白黒していますけれど、そういう「あ〜る」の復活の仕方の方が、私は好きです。

 当時「あ〜る」を楽しんだ自分の姿がそこに蘇ったような思いで息子たちを見ています。

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2012年09月21日

野坂昭如氏とわたし

ラグビー場の野坂昭如 昔のアルバムを整理していたら、野坂昭如氏とのツーショットが出てきました。左がわでウィウィしくわにかんでいるのが幼少のみぎりの私ですよ。はっはっは。昔からアポロキャップだったんだな。

 1983年に野坂氏が二院クラブだかで立候補して国会議員になったことはみなさんご存知かと思いますが、じつは1974年に参議院の東京地方区から立候補して落選したことがあるんですよ。Wikipediaにも書いてない事実ですよw

 だから、時期的には私が秋月くらいの年の頃なのかな。
 よく見るとファミリアの靴なんてはいてやがる。どこのおぼっちゃまですかw

 うちのオヤジがその選挙戦のドキュメンタリー映画を撮っていて、そのよしみでサインをもらいに行ったところです。たぶん同行してたスチルのカメラマンの人が面白半分に撮ったんだな。後ろに見える脚立には「よみうり 写真部」の文字が読み取れます。

 なにしろ野坂氏には子供なんて寄ってこなかったもんね。「おもちゃのチャチャチャ」を作った人、と言えば子供も来たかもしれないけれど。

 ちょうどこのころ、野坂氏はラグビーに狂っていた頃で、これもどこかのラグビー場での撮影時だったと思います。

 この選挙戦で野坂氏は527214票集めながらも次点で落選するわけですが、私も選挙期間中ずっと撮影に同行していて、小沢昭一氏の応援演説を聞いたりとか、楽しい思い出ができました。

 映画自体は大コケして、フィルムはうちの実家で人知れず塵に返ったらしいですけれど、いま思うと得難い体験をしたものだなぁと思います。
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2012年05月30日

石炭

石炭 石炭です。

 以前子供たちと碓氷鉄道文化むらに展開した折に、落ちていた石炭を一つもらってきました。ちゃんと係員さんにいいですかって聞きましたよw。普段は本棚の隙間に大事に飾ってあります。

 私は東京で育ちましたが、小学校のストーブは石炭、というかコークスを燃やすストーブでした。冬の朝は、コークス当番の子がバケツを持ってコークス置き場まで行って、山のように積んだコークスを運ぶのが日課だったのを覚えています。

 休み時間にはふたを開けて、シャベルでコークスを投入します。「いわゆる釜焚きというやつです」とか鶴田浩二の真似するやつとかもいたりしてね←古い。

 こうやってぴかぴか光る石炭を見ていると、ブラックダイヤというのもさもあらん、という気がしてきます。

 英国映画では「ブラス!」とか「リトルダンサー」とか炭鉱と労働者ストライキの問題がサブテーマのものもけっこうありますよね。なんだかそんなことまで思い出してしまいます。

 意外に軽い、というのも新しい発見です。

 


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2011年11月11日

ギザ10

ギザ10 秋月が、「ぼくのちょきんばこに、ぎざぎざの10円玉が入ってたよ」と嬉しそうに見せに来ました。

 ほう、ギザ10じゃないか。まだ残っているのがあるんだな。

 ぜんぜん関係ないけど、某アイドル(笑)が「ギザかわゆす」とか馬鹿なことを言うたびに私の脳裏に浮かぶのは、このギザ10です。

 秋月も、昔のめずらしい10円玉だということは知っているらしく、なんだかうれしくてたからものにするみたい。

 そういえば、子どもの頃から珍しがって集めたりしたよな。いったい何年頃まで発行していたのかなと、調べてみたら、さすがはWikipedia、こんなミクロなネタにもちゃんと記述がありましたよ。
ギザ十(ぎざじゅう)とは、日本で1951年(昭和26年)から1958年(昭和33年)にかけて製造された十円硬貨を指す(1956年(昭和31年)は未発行)。硬貨の縁に多数(132個)の溝が彫られており、ギザギザになっていることから、広くこのように呼ばれている。

コレクションとしてのギザ十
ギザ十は、その識別の容易さから従来コイン収集の対象とされてきた。ギザ十の価値としては、実際の取引市場においてその発行枚数の多さ故、未使用品でない限り全く取り合ってもらえないのが現状である。すなわち、並品(完全に酸化・磨耗された状態)の場合、発行枚数2500万枚と少ない昭和33年銘のものが一部プレミアを付けて販売されることはあっても、買取の際には取引対象とされない、或いは額面通りとされるのが普通である。そのため、価値を求めずに趣味のためにギザ十を収集している人が多い。
 珍しいけど、値は付かない。純粋なコレクターが集まりそうなアイテムだなー。

 むかし「銅が貴重だった頃、回りを削って金属を盗む犯罪者が多かったので、削られた時の識別用にギザをつけた」という話を聞いたことがあり、それをずっと信じてましたが、そうい記述はないみたい。都市伝説だったのかな。

昭和29年の10円玉 昭和29年製でした。57年前。ゴジラ公開の年か。

 古くなった貨幣は回収されてしまうと聞いたことがありますから、この10円玉、銀行に行ったことはほとんどない硬貨だってことでしょうか。

 子どもの頃、お金の来し方行く末がすごく気になったことがあります。お金ってどういうふうに人から人に渡って行くのかなぁって。

 このギザ10も57年間、どんなひとのどんなお財布を通り抜けてきたんでしょうね。

 秋月もいつ、どこでこれを使うんだろうな。
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2010年12月22日

「どこ落ち」考

サイボーグ009地下帝国ヨミ編 はやぶさが帰還した折り、大気圏へ再突入して燃え尽きるその姿を見て、
「家中の兄弟が仲良く平和に暮らせますように」
と祈った父です。

 なにそれと秋月が言いますので、「サイボーグ009 地下帝国“ヨミ”編サイボーグ009」の総集編を入手しました。秋月の奴、あっという間に読んじまいましたよ。石森正太郎はこれが初めてだったかな。

 サイボーグ009にはいろいろな思いがありながら、漫画原作をすべて傑作ともろ手を挙げて評価するのには躊躇する私です。しかし、この「地下帝国ヨミ編」は屈指の名作。このあともサイボーグ009はぐだぐだ続くんだけど、この「地下帝国ヨミ編」に比べるとぬるい戦いばっかで、まあ蛇足って奴でしょうか。

 「地下帝国ヨミ編」のエンディング、ブラックゴーストを追い詰めたサイボーグたちは宇宙に逃げる首領を倒すため、最後の戦いに向かいます。赤ん坊の癖に非情極まりない001は、逃げる首領の追撃にたった一人、最強のサイボーグである009をテレポートで送りこみます。宇宙からの帰還の方法はもとからありません。送りこまれた009もすぐにそれを察し、相討ち覚悟でブラックゴーストをしとめることを誓います。

 首尾よく敵は倒したものの、大気圏外からの帰還の方法はなし。その時、地上にいた002が大気圏外へ向かって飛び立つのです。

 せっかくジョーの元まで到達した002ですが、そこで燃料を使い果たし、やはり二人での帰還は望めません。なんてことするんだと非難する009にジェットは問いかけます。

「ジョー、君はどこに落ちたい?」

 大気圏に再突入して流れ星となり、燃え尽きる二人のサイボーグ。

 地上でそれと知らずに空を見ていた(まったくストーリーに関係ない)ある姉弟は「あ、流れ星だ」とその光に気が付きます。

 平和のために戦った二人のサイボーグたちが燃え尽きる光とも知らず、流れ星に向かって祈りをささげる姉。

 何を祈ったの?と問う弟に、姉は
「世界に戦争がなくなりますように。世界中の人が仲良く平和に暮らせるようにって、祈ったわ」
と答えます。

 弟は「僕はおもちゃのライフルが欲しいなぁ」などとKY全開なことを抜かして、そこがまた味わい深いわけですけれども、これが世に言う「どこ落ち」の顛末なのです。

 で、この「どこ落ち」は更に元をたどるとブラッドベリの「万華鏡」だか「刺青の男」だかなんであるとか、ガイナックスの「トップをねらえ」でも「ふしぎの海のナディア」でもまったくそのまま使われているんだとか、GS美神でも落ちる場所聞いてたりとかいろいろネタはあります。

 「ザンボット」にだって「ガイキング」にだって、流れ星と平和を祈る少女ってモチーフは出てくる。いったい世にどれだけの「落ちたい?」があるのか列挙したいくらいでもありますが、そういう蘊蓄はさておき、まずは秋月には、この言葉にできない感動を全身で味わってもらいたいと思います。

 イワンの判断。ジョーの決意と行為、そしてジェットの思い。

 やむにやまれぬそれぞれの思いがもたらした結末を、子供たちはどのように受け止めるのでしょうか。特攻賛美、とは受け取らないで欲しいと思いますが。

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2010年04月07日

妖怪けむり

妖怪けむり 先日あらかわ遊園の前の駄菓子屋で買ってきた妖怪けむりです。なつかすぃ。

 確か100円だったと思いましたが、家で開けてみたら5枚入っていて、なんだか得をした感じ。

 妖怪の絵はけっこうこわいよ。


妖怪けむり 裏側にセロハン貼ってありますが、まんなかへんにねとねとした部分が…

 このねとねとを人差し指と親指に塗りつけて、指をこするとあらふしぎ。火のないところにけむりが上がるんですのよ。

 なんとなくわかりますね(笑)。




 こればっかりはスチルだとわからないので、動画にしてみましたが、どうかな。

 わかりますかね?

 いっぱいあるので、こどもたちに一人一枚ずつ分けてやりました。友達に見せびらかすといいよ(笑)。

 ところでこれ、子供の頃には全然考えてなかったけど、吸い込んだりしても害にならないのかしらん?

追記)なんと妖怪けむりがAmazonで買えることが判明しました(笑)。
 妖怪けむりがAmazonで買える件について | 日々雑感IIを参照ください。
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2008年06月05日

ビックリハウス

 LHMの女王・スフィアさんより、ビックリハウスのネタを振られて(いやこっちから振ったんでしたっけw)、感慨深くいろいろと思いだしてしまいました。

 ビックリハウス - Wikipediaが記述としては詳しいわけですが、70年代から80年代前半に青春を過ごした人には、ポップカルチャーの旗手として記憶されていると思います。WEBなどかけらもない時代ですが、極めてWEB的なメディアであったとつくづく思います。

 かの大槻ケンヂ氏が中学生(だったか?)の頃、「ビッグムーン大槻」のペンネームで投稿しまくっていたのは有名な話。私は筋肉少女帯を知った時の方が驚きましたよ。ビッグムーン大槻、こんな奴だったのかって。ユナイテッド・ステーツ・オブ・ジャパベンことジャパベン合衆国では外務大臣でしたね。あー、あとメーテル阿素湖さんとか、ヌルハチ氏とか、どうなさっているのだろうか。

 とにかくオールナイトニッポンを聞いて、ビックリハウスを読む。これが私の10代でした。YMO、ライディーンが好きだったしな。あ、イモ欽トリオも好きでしたよ。

 振り返ってみると、いろんなコーナーがあったんですね。やっぱり私は全流振派だなぁ。後半はヘンタイよいこ新聞に傾倒しました。私たちの水戸黄門、熱心に投稿しましたよ、載らなかったけど(笑)。メカ黄門が好きだったなぁ。最後には改心して「テキガオマエヲネラッテル」と黄門様に告げて自爆してしまうメカ黄門。ああリリカル。

 実は私の姉がエンピツ賞を取ったことがあるんですよ。で、その筋で糸井重里さんとも話をしたことがあったんだそうですが、あの時、糸井事務所にでももぐりこんでいれば、今頃はいっぱしの者になれたでしょうにな、と他人事ながら思ってしまいます。

 ぐぐっていましたら、もと編集にいらっしゃった方が運営している、ビックリハウスアゲインというサイトを発見しました。なんか楽しそうです。ハウサーな人、どっかに大量に集っていたりしませんかね。

 花編アッコちゃんは元気そうです。なんか講演する人になっているし(笑)

 
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2008年05月07日

快傑ライオン丸

ライオン丸 先日、チビッ子忍者村に行った折に発見しました。

 なんと快傑ライオン丸の遊具。いったい何年前のなんだよ。

 こんなものに100円払うのもなぁ、そもそもこれ、動くのかしらん、と思って写真を撮るにとどめましたが、後から妻に聞いたら、
「え?あのライオン丸、タダだったみたいよ」

だってー。壁にあるスイッチを押せば、ごとごと動いていたらしいです。乗ってた子供も居たんだって。

 そうか、無料だったのかー(笑)。
 戸隠のチビッ子忍者村に行った方は、ぜひ。

 それにしてもピープロかぁ、懐かしいなぁ。どこかにスペクトルマンはいないかなぁ。
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2008年01月31日

崎陽軒のひょうちゃん

崎陽軒のひょうちゃん 明日は秋月の参観日。夏の間に作ったひょうたんで工作をするそうで(笑)、「絵でも描いてみるかなぁ」と母上がいうので、例の崎陽軒のひょうちゃんでも描いたら、と思いついた私。

 グッドア〜イデ〜ア〜(サンソン&ハンソン風に)、とコレクションのひょうちゃんを取り出した母上。うーん、けっこう貯まったなぁ。東京に遊びに行くたびに、東京駅の大丸で崎陽軒の特製シウマイを買い続けてきたのです。我が家の東京旅行の歴史だな。ちなみに特製シウマイにはひょうちゃんがついてきますが、シウマイ弁当にはついてきませんので念のため。

 崎陽軒のサイトによると、
思わず集めたくなる醤油差し ひょうちゃん
  ひょうちゃん
シウマイの箱を開けるとそこにはすっかりおなじみとなったマスコット「ひょうちゃん」笑った顔あり、怒った顔あり、さまざまな表情で登場し、シウマイとは切っても切れない仲になりました。ところでこの「ひょうちゃん」初めて登場したのは昭和30年、「フクちゃん」を書いた有名なマンガ家横山隆一先生が表情を描いてくれたことによって始まりました。当時は いろは48文字にちなんで48種類、そして2代目ひょうちゃんはイラストレーターの原田治先生の作品で、オサムグッズの一員として80の表情を見せてくれました。そして2003年工場の新たな操業と共に初代ひょうちゃんが形は変わっても表情は変らず15年ぶりに登場します。あなたもひょうちゃんコレクションにチャレンジしてみてはいかがですか。
だそうです。原田治は知っていたけれど、そうか初代はフクちゃんだったのか。あれ、どこが面白いかよくわかんない漫画だったなぁ。

 初代で48個、二代目では80個でコンプリートだそうです。以前ヤフオクで「ひょうちゃんコンプリートセット」なるものが回っていたことがありましたが、あれ48個だったかなぁ。初代だったんだね。

崎陽軒のひょうちゃん 見てみると、絵柄が違うのが混ざってます。上記urlによると、2003年から初代版も混在しているようです。

 こうやってみると、左は確かにオサムグッズ(笑)。右が横山版のようですね。



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2008年01月11日

GO GOマリオ!!by谷山浩子

 とつぜん、空から電波が降ってきて、私に、
「『GOGOマリオ!!』を検索せよ」
と命じました。

 なにをいまさら、と思いましたら、なんと、オールナイトから生まれた幻の名曲が遂にCD化! 「スーパーマリオブラザーズ」イメージソング プリンセス・ピーチ「GO GOマリオ!!」などという情報が!!!

 知らない人も多いと思うので(というか一般的には知られていないことだと思うので)、ちなむと「マリオの大冒険」のカップリングで谷山浩子が「プリンセスピーチ」として歌った歌がこれ。

 あの浩子の黒歴史と言われている(誰が言った誰が)、プリンセスピーチですよ(笑)

 うーむ、今更あの音源がCD化するとは思わなかったな。

 それにしてもこのコンピレーション、オールナイトマニアは必携かもしれませんね。当時モンのテープが山ほどある人は不要でしょが(笑)。
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2007年05月16日

「子どもの仕事」しましたか?

「子どもの仕事」は昭和の思い出なのだろうか」で、
 自分をふと省みると、「子どもの仕事」なんてあったっけな、と思う。豆腐屋さんにお鍋を持って買物に行く子どものように、それはすでに「失われてしまった」もののように感じる。(みと)

「これが子どもの仕事だった」といえる思い出をお持ちの方は、良かったらnews@excite.jpあてに教えてください。
とあります。

 私は昭和の30年代生まれなのですが、東京で暮らしていた小学生時代は、仕事というと、父親のセブンスターを買いに行くとか、犬の散歩とか、それほどの「仕事」はやっていなかったように思います。

 中学以降、長野県の小谷村に引っ越したわけですが、ここではもう働きましたね。まき割り、風呂たき、田の草取り(笑)。いや、本当にやっていたんですよ。

 「仕事」自体が環境によるものなのかもしれません。当時の東京でも自営業の家の子は、違ってたのかなぁ。

 みなさん「子供の仕事」やってましたか?
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2005年10月20日

懐かしき80年代

 今朝、WAKEMAN聞いてましたら、ジョージ・ウィンストンの「あこがれ」がかかりました。ちょうど夕べ大学時代の友人に何年ぶりかで電話をかけて話をした直後なので、一気にあの頃の記憶が蘇りました。

 80年代というとちょうど高校から社会人にかけての時代だったので、私にとって「子供」との決別の時代だったのかもしれません。

 そうだなー。音楽だとAORが大流行で、エアサプライとかクリストファークロスばっかり聴いてた気がします。ロックだとa-haとか?ファルコとか?NENAとか?ヨーロッパなんてのもいたなぁ。ファイナルカウントダウンだっけ。
 ウィンダムヒルも大流行で、元は山崎務のクレスタのCMで流行始めたのかな。「狼は走らない、狩をしない」って奴だ。やっぱり一番はストライド奏法のウィンストンだったですが、アッカーマンのギターもよかったなぁ。

 山崎努というと、やはり伊丹映画の「タンポポ」でしょうか。かっこつけてラーメン食いに行ったものでした。映画もあっちモンですとトムクルーズが大流行で、つられてビリヤードも流行りました。
 ウルトラB級の「ゴーストバスターズ」なんかもありましたが、私はひそかに「ホワイトナイツ」がお気に入りでした。そう、ライオネルリッチーは「We are the World!」にも出ていましたが、こっちの方が流行りだったのです。でも私はグレゴリーハインズから入りました。好きなんだよ。ショッチュー!

 まんが。少年誌はサンデーでした。やっぱ「タッチ」と「あーる」という二枚看板が強力(笑)。ちょうど劇場版の「アキラ」が公開されたころで、私は「気分はもう戦争」とかから大友に入ったクチなんで、劇場版「アキラ」はちょっと鼻白んでいたのですが、コミック版はよかったです。うん。

 貧乏大学生で、何をしたということもない時代だったのですが、今もあの頃のわけの分からない焦燥感と自堕落な生活を時々恐ろしさ半分で思い出すことがあります。

 私にとっては、そんなバブル前夜だったのでした。
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2005年08月18日

長野電鉄にロマンスカー登場?


お古のロマンスカーが長野にもらわれてくるそうです。なんかタダだそうで。長電ちょっとびんぼな感じ。
こっちにも書きましたが、小田急沿線で育った子供は、あの「ぴんぽんぱんぽん」を子供時代の思い出のどこかに残しているのでは、と思います。

雪風はさっそく「緑の恐怖だ!」と大喜びしてるんですが。でもワイアール星人は付いてこないと思うぞ。
就役したら、先頭車両になんとか乗ってみたいものです。
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2005年06月22日

ルービックキューブ、むつかしー

ルービックキューブ 先日秋月が入院した折、病棟のプレイルームにおいてあったルービックキューブです。

 中学の頃に大流行。覚えましたとも、本読んで。
当時は一分くらいで出来たんですが、いまはここまでが精一杯です。完全に忘れてるな。

 物陰から見張っていると、時々40代くらいのおとーさんが手にとって、みーんなこの辺までそろえて去っていくんですよ。

 やっぱしねー。
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2005年01月17日

グリコのおまけ、Nikon F



防湿庫を整理してましたら、奥から出てきました。改めて見てみますと、やっぱりよく出来ています。

ミラーレンズつきのブラックはレアだったんだよなぁ。
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2004年10月12日

カレイドスコープ

カレイドスコープ 先日のお散歩の時に、万華鏡展示会があったのですが、そこでひとつ万華鏡を買ってみました。

 中には液体がいれてあり、その中を砂時計式にいろいろなキラキラが舞い降ります。覗いていると飽きないなー。


カレイドスコープ こんなのや...






カレイドスコープ こんなのがきらきらしてます。

 コリメート法で撮ってみました(笑)。



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2004年09月26日

タンク工作基本セット



■タミヤ工作カタログ

先日雪風と作りました。

昔とあまりかわらないキットです。雪風は一人でパチパチと組んでいましたが、さすがにギアボックスはお手上げで、

「ちち〜、ここ、くんで〜」

と持ってきました。

このキット、ラックアンドピニオンの仕組みとか、減速ギアの組み合わせとか、すごく勉強になります。クルマのギアボックスの中の歯車が全部かみ合っている様子というのはイメージしにくいのですが、このギアを組んでみるとなんとなくわかるよ、うん。

出来上がると、雪風は、

「ちち、これ、そとであそんでもいい?」

と遠慮がちに聞いてきました。かわいい奴。

いいよというと外で、砂利の山を作ってそれを乗り越えて遊んでいました。

1chでリモコンなしなのに、昔買ってやった戦車のラジコンよりも楽しそうだな。
そんなもんだね(にこ)。
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2004年09月23日

思い出せない漫画のタイトル

 先日から思い出せなくて困っている漫画のタイトルがあります。

・昭和50年代だったような記憶がある。
・確か週刊少年ジャンプだった気がする。
・竜の形のレーザー砲を積んだ小型艇が主人公(?)
・ネモ船長(笑)のような艇長がいた。
・海自の護衛艦とデータリンクしたり、レーザー砲以外は結構まともな描写をしていた。
・主兵装のレーザー砲で、ICBMのMIRVを迎撃した。

 なんだこりゃ。

 で、あちこちぐぐってみているのですが、ジャンプの公式サイトなどでは過去の連載に関する情報などはほとんどないのですね。打ち切りになったしかばねの山だから、編集部も見たくないんだろうなぁ。でもこういう情報は散逸していくだけなので、文化的側面から言えば、どこかでアーカイヴしておいていただけるとありがたいです(必殺他力本願)。

 あー、それにしても思い出せない。どなたか思い当たる節があったら教えてくだせー。

漫画の題名・作者名がわからない★質問スレ29
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2004年09月18日

ロマンスカー

小田急ロマンスカー 某MLのオフトピックでロマンスカーが話題になる。

 その昔、ワイアール星人も乗ったという有名な列車なのだが、例の「ぴんぽんぱんぽん、ぴんぽんぱんぽん」というのはもう今では鳴らしていないらしい。

 むかし沿線に住んでいた子供にはおなじみのジングル(?)なのだが、騒音問題はともあれ、「懐かしい何か」が変わっていってしまうのは、残念なことだなぁと思う。

 
posted by delta16v at 12:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | 懐かし