
ぼくらのヒーロー、究極の超人・あ〜るが一号限りの復活をしました。昨日11月5日発売の週刊ビッグコミックスピリッツ49号に東日本大震災復興支援プロジェクト「ヒーローズ・カムバック」の一環として執筆されたのです。
あ〜るがなぜ震災復興支援になるのかわかりませんが、とにかく昨晩は元光画部を自称する人たちが本屋へ殺到。どこの本屋でも晩にはスピリッツ発売日に売り切れという状況だったようです。
かく言う私も、スピリッツなんて四半世紀ぶりの購入です。前回買ったのは昭和時代だった気がします。それにしてもまだ「美味しんぼ」とホイチョイプロの「気まぐれコンセプト」が続いていて驚きました。

昔大好きだった漫画、今でも新作を読みたい漫画はたくさんあります。でもその思い出には当時の世相、風習、文化、それと自分の年齢と感受性が含まれているのです。
あの頃の「あ〜る」はあの時代にしかあり得ない存在なのです。もしかしたら現代版の続編も面白いかもと思う人もいるかもしれないけれど、現代の文化に投げ込まれて当惑するあ〜るなんてのは見たくありません。
パルコのCMネタの面白さなんて、今の世の中には伝わらないでしょ。BASIC笑話集を読む面白さなんて誰にもわからないよ。
スマホ使ってる光画部なんて想像もできないし、それでは光画部時間が守れないではないか、という声はまったくもって正論です。光画部時間を守らない光画部は光画部ではないし、つまりは2012年の現代には光画部は存在しえないということですよね。

だから一号限りの復活に劇中劇である「コウガマン」ネタを持ってきたゆうきまさみはまさに正しい判断をしたと思うのです。
担当のいうように「素直にあ〜る描けばいいんですよ」と思う人もいるかもしれませんが、高校文化部まんがとしてのあ〜るはもう描きようがない。無理に描けばテイストの違うものにならざるを得ないのではないでしょうか。
色々と世の中も行き詰ってきて新しい物語を作るよりは手っ取り早く昔のマンガを復活させたいと思う人は多いようです。二世モノとかよく使う手ですね。流行した昔の漫画の当時のテイストを現代に持ってくるのに、「主人公の子供」を使う手。
で、やることは同じ。「リングにかけろ」とかやりましたね。あれはどうなんだろうなあ、と思います。懐かしいと言えばそうなんだけれど何か閉塞感ありますよね。ヤマトだって沖田艦長が生き返ったりとかしましたけど、ああいうのはどうかと思います。
あの流行、盛り上がりは、きっと読み手の中のあの時代にしかなかったあれこれとシンクロした結果なんだと思います。その当時の読者は今もいるだろうけれど、年も取ったし環境も違う。いくら昔が楽しかったからと言っても、懐古の想いだけで生きてはいけるものでもない。
だから現代の社会にあ〜るが現れるといったような「究極超人あ〜るライジング」とか「究極超人あ〜るビヨンド」とかのそのまんまな続編はあり得ないと思います。そりゃまあ想像すると楽しいけどね。
「あ〜る」はメカ成原の脅威ととも去ったあ〜るがこっそり戻ってきましたよ。というところで終わったままが、やっぱりいいです。
「あ〜る」を復活させる。私はそのために子供たちに「あ〜る」を読ませてみました。雪風も秋月も小学校高学年になった頃に読ませました。なんかすごく受けてる。伝わってるじゃないか(笑)。
海に行けば
あ〜る描くし、昨日も秋月は東京に社会見学に行ってましたが「バスガイドの女の人、毛利さんみたいじゃなかったな」とか言ってやがって、ああ、ちゃんとおかゆライスな少年になってるなあと安心しました。
雪風も修学旅行の時はちゃんと
あなたとなら大和路!とあ〜るで予習して、粉砕バット持って行ったっけな。
今でも我が家ではそう言った光画部ネタが炸裂していて、お母さんは目を白黒していますけれど、そういう「あ〜る」の復活の仕方の方が、私は好きです。
当時「あ〜る」を楽しんだ自分の姿がそこに蘇ったような思いで息子たちを見ています。
posted by delta16v at 08:25
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懐かし