本の「価値」と言うものには、
A.材料、印刷費、コンテンツ作成工数、流通コストを含めたモノの価格
B.ソフトウェアとしてのコンテンツの価値
の二つの側面があります。A要因が価格、B要因は価値です。この二つがないまぜとなって本の価格になるのだと思いますが、私の経験からいって、ほとんどの本は厚みで値段が決まっているようなところがあって、「名作だから高い」と思った経験は私にはほとんどありません、出版社としてはA要因で値段を付けてきた経緯はあるんじゃないんですか。電子書籍化やばいですねw
著作権の対象としての書籍を語る場合は後者のB要因がクローズアップされます。電子書籍が通常の紙媒体とあまり変わらない値付けがされる場合にこれが根拠として主張されることがよくありますね。
しかし、自動車に軽自動車規格があるがごとく、日本には「文庫本」という規格もあります。新刊の単行本に比べ、おそらく色々なコストダウン、価値の減少があり、価格をさげることでそれらをカバーしているのでしょう。
文庫本が安い理由を考えてみます。
1.判型が小さいため、材料、物流などのモノとしてのコストが安上がりなこと
2.テキストとして完成しているコンテンツの再収録であるために、コンテンツ制作の手間が少ないこと
3.新刊単行本である程度回収が終わっている「少し古い作品である」こと
1、2はA要因のコストダウンですし、3.はB要因の価値の減少と言えるでしょう。従って文庫本は通常の単行本の半額くらいで売られることになるのでしょうね。
電子書籍はまずA要因のコストを大きく減少させるので、単行本に対する文庫本のように、別の値付けがあっていいと思います。いまは出版社のビジネスモデルがついていかないでしょうし、古いモデルに執着する会社も多いでしょうからすぐには変わらないかもしれませんが。
個人的には「コンテンツの持つ価値がメディアによって変わり得るのか」というのは大変興味深い問題です。神林マニアとしては「ワープロで書いたら違う内容になったろう」という一言が思い出させられますね。さしずめ「Kindleで読んだら、別の内容になったろう」というところでしょうか(これは某所でそのまま書きましたw)。どうなのかな。自らを振り返る毎日です。
電子書籍に対する抵抗の多くは心理的障壁(「紙の本でないと頭に入ってこない」とか)と思いますが、Amazon辺りが最近始めたKDP(Kindle Direct Publishing)では「販売後の書籍の改訂」ができたりしますし(先日購入済みの「青き鋼のアルペジオ」が改訂版に変わってたけれどどこが変わったんだろう)、そういった電子書籍ならでは技術が、読書体験にどんな変化をもたらすのか、それは自分にとっていいことなのかよくないことなのか、興味の尽きない昨今です。
追記
ここまで書いてアップしたところで、情報の価値を問うな | 日々雑感IIでまったく同じことを書いていたのに気が付きました。バカスww