
東本はさ、やっぱり基本的なテーマが「おっさんの懐古」だから、やっぱりこの年になるといろいろとしみるよね。「SS」では「みみずってえらいなあ」と泣きましたし、公孫樹でまた泣きましたよ。あたかも劣化したゴムの様な私です。年取っていく中でいろんなものに流されてきた負け犬たちのワンス・アゲイン!そりゃ泣きますよ。
80年代、あの疾風怒濤の時代に青春を送った人間には、80年代初頭の狂乱のスーパースポーツ百花繚乱の世界を見ていないものはいないと思います。RZ350から始まって、CBX、RZR、MVX、GSX、GPZ、そしてRG250γで到達するレーサーレプリカの時代。
γって何て読むかって?ガンマですよ、ガンマ。「アールジーニヒャクゴジュウ、ガンマ」。ギリシャ語でゲライロ。「栄光」の頭文字ですよ。RGγって500ccのレーサーがあったんですよ。それの市販車版。500/400と250と50がありました。あ、125もあったっけ。マイナーw
「RG250γは250ccのRGγだ」っていうフランコ・ウンチーニの名言がありましたよね。わけわかんないか。でもあったんだよw
やっぱりね、2ストは青春に似合うんですよ。オイルをバラまきながら、安いクォーターでかねもちのナナハンを食う。そのピーキーな生き様は、走りだしたら止まらない土曜の夜の天使だった我々の心には、スーパーフィットだったのです。たとえツーリングで必ず最後尾を走らされたとしても、ね。
ウンチーニが死んじゃったのもこのころだったと思いますが、キングケニーはぎりぎり現役だったのかな。スペンサーとか色々いたよね。レースの記事もよく読みました。鈴鹿の4耐が一番面白かったな。ヨシムラVSモリワキとかさ。当時スーパーノービスと呼ばれた宮城光なんか今でも現役だって、すごいよね。
当時、スズキホンダヤマハカワサキの4大メーカーのどれに乗るか、というのは自分の血液型を決めるようなもんで、それは難しく楽しい問題ではあったわけですが、RG50Eに乗ってた私はずっとスズキ派でした。
RGわかる?「さらば愛しきルパンよ」で銭形にばけたルパンがラムダを追いかけてかっ飛ばすのが赤いRG250Eですが、あれの原付版ね。形はほぼ同じ。空冷50で、多分RG50γの原型になったバイクですが、下りの追い風ならばかるく90km/hくらい出ました(どこが軽くだ)。高校時代から青いのに乗ってました。当時はノーヘル合法だったんですよ。おっかねえ。今でもノーヘルで原付に乗る夢見ますよ。
で、後に発売されたRG50γ。これがまたすげーかこいい。RG50Eもかっこよかったんだけれど、γはアルミ角断面ダブルクレードルフレーム。セパハン。バックステップ。すごいよ。かこいいよ。あれに勝ちたくてスガヤの水冷ヘッドキット買おうとしたところで、バイク泥棒に盗まれちゃって、未遂に終わりました。だから私はいまでも、一生、死ぬまで、断じて尾崎豊を許しません。
γはずっと欲しくて、いまでも欲しいんだけれど、その後V型ツインのγとかもあったらしくて、今はパラガンとか呼ばれているらしい。もう旧車も旧車、消耗の速い2ストでもあるから、30年もたった今では程度のいいクルマはもう手に入らないかもしれないね。ハーベーカラーの黄色とか、ウォルターウルフの黒とかありましたが、私は断然青白だな。
やっぱり青春は遠くにありて思うもの、なのかもしれません。
γは買えないかもしれないけど、青白のGSX-Rくらい、買おうかなあ。
いろいろときゅんきゅんです。
あーもう(笑)
RZ250、MVX250それからRG250Γ(確かγはこっちだったよね?)にも少しだけ乗ってたな。
RG500Γは2か月くらい乗ってたよ。
良いバイクだった!
でもNSR250の方が最終的には好きだったな。
一気に記事書き上げました。
このネタならいくらでも書けますw
>Aki様
わお!乗ってたんですかγ。
純正のチャンバーだと、音がベケベケベケとなさけないのですが、走る姿はまさにレーサーでした。
NSRって楕円ピストンのでしたっけ。
KRのタンデムツインとかいろんなバイクがありましたねー。
当時は日本一早いかっこよさ、って思ってました。
バリバリ伝説ってRZじゃなかったっけ?
バイクは乗っていると楽しいけれど、怖くてもう乗れない。
っていうか私タンデムシート専門だったからね。
なにやってんだよw
バリ伝はCBナナハンとカタナのお話ですね。RZは出てきたっけかな。
また乗りたいけどバイクは死んじゃうからダメ、ゼッタイ、と家人に禁止されていて困ったちゃんです。