
読み筋としてはいくつかあるんでしょうが、とりあえず選定理由に引っかかってみましょう。
おたくのおもちゃを役人や識者が持ち上げる話は最近よくある話です。ローゼン閣下こと麻生太郎あたりが「ジャパンクール」などといって売り出そうとしているのは、それでもまあ、麻生ならわかってやってんのかな、という気もしますが、こう猫も杓子もとくると、単なる便乗に見えないこともなくてほんとに判ってのかなと気になることもしばしばです。
ちなみに今回の毎日新聞によりますと、
関節が自由に曲がる最先端の成型技術を人気アニメと融合させたバンダイのプラモデル「ガンダム・ザクシリーズ」など。とあります。
この記事がどの辺まで意識的な記述であったのかは興味深いところですが、要するにプラモデルの設計及び高度な成型技術がこのようなたかがおもちゃごときにいかんなく発揮されていることこそが日本的なわけで、「ザク」というか、アニメとかガンダムそれ自体が日本的と評価されているとしたら、それはちょっと違うのではないかと思うのです。
ここで上がっているのはMGザクVer.2ですが、プラモデル業界の同業者でさえも、バンダイがガンプラに投入している技術を驚嘆の目で見ています。
ただ、バンダイさんがすごいのはそういう(技術屋にしか理解できないような優れた)ポイントを(ユーザーサイドからも評価してもらえるように)ユーザーに強制するんじゃなくて、「ユーザーさんのためには結果的にこの技術が必要なんです」という感じで、技術の部分をあまり全面に打ち出さないじゃないですか。じつにさりげなくすごいことをやっている。(有限会社ファインモールド代表取締役社長・鈴木邦宏氏)というところまでイッてしまっているのです。-月刊モデルグラフィックス2007年12月号-
このVer.2のMGザクは本当にすごいんですよ。このザク、なにげなく膝を地面についてますけれど、この動きは素晴らしい設計と技術の産物なのです。
要するに、たかがプラモデル「なんか」に無駄に高度な技術を投入することこそが日本的な「粋」であるとしたら、これはもう
「ザクが選ばれた」
のではなくて、「MGザクVer.2が選ばれた」
というのが正しいと思うのです。正確にはどうだったのか、今後の報道で追加の情報がどうでてくるかが楽しみです。
一般的に「ザクが新日本様式100選に選ばれた」と聞いて、「またオタクの輸出か」とつい考えてしまいがちですが、その辺の事情を酌んで選定されているとしたら、これはこれで目が高いことだなぁと思うのです。
はたしてどうかな。
「新日本様式」協議会 --会員一覧--を見ると、法人会員として、株式会社 バンダイナムコゲームスなんて名前も出ているので、深読みしすぎなのかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
メディアミックス等と言う言葉もなかったと思いますが、「ザク」というキャラクターはもはや単なる「アニメのメカ」の範疇に収まらないですね。
ガンプラに「無駄に」投入された技術と情熱は、まさに日本的であると思います。
無駄だと思う気持ちがある貴方は一生ザクの良さなんてわからないね(笑)
上から目線のつもりではないのです。
「無駄に」をわざわざボールドでくくっている意味はガンプラを馬鹿にしているのではなくて反語的表現のつもりだったのですが、伝わらなかったとしたら私の文章力不足です。服の裏地「なんか」に「無駄」に手数をかける。それが日本風の粋であるのだと表現した時に、それはその価値観に敬意を表した表現であり、服に対して無駄とは失礼ですねとは言わないと思います。
まあ、それはそういう表現と言う意味で。
少々脱線するならば、人はガンプラなんかなくても生きていけます。ザクの系譜など研究しなくても飯は食えるし、戦車をうまく汚せないと身をくねらせなくとも、充実した人生を送ることができます。そっちが当たり前で常識なんです。いい年こいてプラモデルのロボットにうつつを抜かす方がどうかしてます。ひとはそれを自覚するべきです。年を考えていい加減にロボットからは卒業せいよ、おまいらと言われればそっちが正論であるとわきまえるべきだと思っています。
でも、それでもいいザクが欲しいんです。作りたいんです。自分だけのザク。いいじゃないですか個人的趣味なんだもの。
そっちが真情。ああ、情けない。
そう、情けないと思うべきなんです。こんな趣味はマイノリティである「べき」なんです。そうでないと社会が成り立ちません。大人は大人であり、子供とは異なる価値観を持つべきです。でもその中でまあ俺一人くらいは見逃してもらってこそ社会の成り立ちと自分の趣味が両立する。見逃してもらっていると思うべきなんです。個人の趣味ですから何をどうしようと勝手ですが、それが当たり前とは思わない方がいいでしょう。圧倒的多数の人が常識に従って生きているからこそ、社会が成立し、だからこそ個人それぞれの個性が輝いているのではないでしょうか。私はつまんない個人的趣味に没頭するとき、世界に対して申し訳なさそうな顔を一回してから没入することにしています。自戒の意味で。
そういう意味でガンプラ「なんか」という言葉は私にとっては自己を客観視するための重要な表現であったりもします。
ご指摘、ありがとうございました。
そうなんですよ、いい歳してガンプラか?と言われてもガンプラ(特にザク)が好きなんで仕方ないです(笑)
意外と全ての模型制作に通じる物があります…
汚しは戦車から、鏡面仕上げはカーモデルから
エッチングのパーツ付けはシーモデルから、
デカール貼りはエアモデルから…
自分は全ての模型が好きです、端からみたら「無駄に」能力使ってる…
と言われるかも知れないけど…
好きんで仕方ないです(^_^;)
自分のコメントで気分を害された様でしたら謝罪しますm(_ _)m
どうも、お返事ありがとうございます。
ご注意頂いて私もいろいろ考えましたし、大変ためになりました。ご指摘に感謝しています。
「才能を無駄に使ってる」というのは趣味人にとっては最大級の賛辞なのかもしれませんね。
制作、がんばってくださいませ!