ユーミンの「ノーサイド」、大好きな曲なんですが(たまに歌ってますがw)、これをサッカーの歌だと思っている人が結構いるようです。だって「ノーサイド」って言ってるんだからそれはラグビーだろ。いちいち指摘するのも無粋なんで笑っていますが、内心に沸き上がる残念な気持ちはいなめない。
私自身は昔からラグビーの歌だと当り前に思っているのですが、あちこちでサッカーサッカー言われると、もしかして万が一、ユーミンも勘違いなんかはしてなかっただろうね、と心配になって調べてみました。
タイトルチューンだが、元々は麗美への提供曲だった。麗美ヴァージョンでは歌詞の時期の部分が「2月」と具体的になっていたが、1984年当時、2月に開催される日本のラグビーは全早稲田・慶應・明治の対抗戦のみで、シーズンは1月15日に行われる日本選手権で終わっているとラグビー関係者に聞かされ、「冬の日」に歌詞を変えたという(現在は日本選手権が2月に行われている)。おっけー。完璧。ラグビーの歌。だいじょぶ。
前述の事実誤認もあるため、モデルとした試合が存在するか否かははっきりしないが、1984年1月7日の第63回全国高等学校ラグビーフットボール大会決勝の天理高校対大分舞鶴高校戦 が本作に極めて近いシチュエーションであり(試合終了直前の大分舞鶴のゴールキックが決まれば同点で両校優勝だったが左に外れた。その直後ノーサイドの笛 が鳴っている。ただしこの試合は「リーグ戦」ではない)、一説にはこの試合がモチーフとされたのではないかと言われている。
確かにラストワンプレーのPGをはずしてピッチを去る姿、とかかなり具体的ですし、モデルになった試合と選手を探したくなる気持ちもちょっぴり分かりますね。
真実はユーミン以外知らないわけですが、「はっきりわからない」というのもそれはそれでロマンチックだと思います。
それにしても1点2点差でラストワンプレーのPGなんかが回ってきちゃったら、キッカーはしびれるだろうなぁ。
それが高校3年の最終戦、しかも花園の決勝だったりしたらなおさら、ね。
追記(2013/11/07)
ユーミン本人が国立競技場で「NOSIDE」を歌うというニュースがあり、ノーサイドのモデルとなった試合と選手について、以下の記事にまとめました。
ユーミンが早明戦でノーサイド歌うんだって | 日々雑感II
【少年ラグビーの最新記事】
学生の頃聞いてた。
♪愛にdesperate みんなエッチね〜
知らなかったら良かったの〜♪っていう
訳の分からない歌詞に突っ込みを
入れながら・・・
懐かしいね。
麗美って存在は知ってましたが、松任谷夫妻プロデュースとは知りませんでした。
ユーミンのあの声でやられると「神の目線」になっちまいますが、麗美バージョンは女子マネージャー目線だそうで、そうすっとまた違う味わいが出てくるんだろうなぁと思います。こっちは聞いたことないですけど。
「ノーサイド」は相手と自分の関係性に関わる言葉ではあるとおもうんだけれど、結局歌詞自体は自分の話に終始しているところがちょっと残念です。踏み込みが浅いぞ。
なので歌の中に相手の選手が出てくるところがあれば、もっと好きになる歌だったかもしれません。でもまあユーミンだからなw
歌の内容からいえば社会人ではなさそうですし、学生でリーグ戦というと関東大学対抗戦とか大学リーグ戦じゃないかと思っていました。そのあとに学生選手権とか日本選手権とかのトーナメントがあってラストゲームではなさそうだし、リーグ戦は冬というにはいささか早い気もするので、結局あの歌はイメージを集大成した歌なんだと思ってました。
高校ラグビーだったという説はちょっと意外だったです。
83年とか84年とかの話だそうですから、「スクールウォーズ」につながる春の季節だったんですねー。
無事、日本に戻ってきました。
まだ東京なので、今日の練習も休みです。
この試合については、自宅に戻ってから、昔のラグビーマガジンで確認してみます。
いろんな説があるみたいですが、私の中では、当然、天理VS大分舞鶴戦と思っていました。
この試合当時、私は中学3年生でした。実はラグビーから離れていましたが・・。
そして、また自慢に聞こえたら申し訳ありませんが、この試合に出た選手のうち、確か7人が、私の大学のラグビー部の先輩です。私が入部した時は、3、4年生だったので、当時は雲の上の存在でした。天理5人、舞鶴2人で、殆ど高校JAPAN、あるいは候補なんですが。
それと、
おぼろげな記憶ですが、ひとつエピソードを加えると、ゴールを外したキッカーの選手は、確か舞鶴のキャプテンのFBの選手で、ひとつ前の準決勝では、大学(確か鹿屋体育大学)の入学セレクションが重なり、出場していなく、残った他のメンバーは、キャプテンの不在の中、劣勢が予想される試合で勝ち、無事、決勝にキャプテンの選手が帰ってきた・・・ような感じだったような。
またまた、私の記憶では、
そのときのベスト8には、工大、伏見工、秋田工、山口の大津、後は、久我山、・・・
バックス馬鹿の愚息は「そういえばここ最近FW練習ばっかりな気がするな(笑)」と笑ってました。また鍛えてやってください。
「ノーサイド」のモデルの件、当時ラグビーをやっていた人には常識だったんですね。
それにしても、某大学、さすがは最強時代ですね。いい選手がずらりだったんですねー。花園同点優勝の「ノーサイド」の選手たちが一杯いたのかぁ。さすがですね。
大分舞鶴のFBの復帰話もドラマですねー。
最近スクール高学年キャプテンの復帰もありましたし、復帰話には泣けてきます。