帯に依ると「愛と勇気のシステムエンジニアSF」だそうです。お仕事小説なのかなぁと手に取ったのですが、AIをテーマとした純然たるSF作品でした。
近未来の社会、主人公の女性はHCCという「死後の整理」を本業とする企業に勤めています。確かに一人暮らしのまま死んじゃったりしたら色々後の面倒を見てもらわないと困るよね。
で、主人公にある日VIP級のシステムエンジニアの死後の後片付けの仕事が回ってきます。そのちょっと変わったオーダーにより、主人公はそのSEの人生を小学校からたどる調査を始めますが…という展開。
著者もWIDEプロジェクトのエンジニアだそうで、ネットワークの描写も非常にリアルです。エンジニアらしく、広がる伏線ももれなくきれいに回収されますし、読んでいて気分がいいです。kermitとかテキストエンコードとか懐かしすぎるぜ。
「魂」「自我」についていくつものモチーフが提案されます。たとえば「自己が外部から規定されることで確立する」という件。千早が自分のことを「千早」と呼ぶのは、回りがそう呼ぶからであって、自我が確立するとそれが「僕」という一人称になるはずです。つい先日まさにその通りのことを千早が言っていたので、膝を打ってしまいました。曰く、
「ちはや、がっこうのおともだちのなかでは『ぼく』っていうようになったんだよ」
だって。なるほど。いよいよ自我のめばえですね。
ちょっとよくわからないのが、ネットワーク上の存在が国境や「地上」「宇宙」という現実の地域性に縛られている描写です。インターネットワークの帯域やFWによって区切られている、という方がわかりやすかったんじゃないかなぁ。「オーバーレイ」という表現もいささかわかりにくい。「サーバ」と言い換えると野暮だけれど、今風に言うとクラウド上のサービスあたりなのかな。OSIのネットワークトポロジーを拡張している未来のはずなんだけれど、その辺の描写ももう少し欲しかった気がします。
物語後半では、知性が身体性と関わって存在するということが強く主張されます。そういえば「攻殻機動隊」でも「完全義体にすると、自律系の信号が消失する」とかなんとか欄外に書かれていたような気もします。コミニュケーションの基本は下卑た現実の中にある肉体を意識せずに、あり得ないということですね。すごく同意。
常に「スマート」を意識していた若者が、サイバー勝負に敗れて、ラーメンを食いに行く身体性。これはすばらしい描写です。
いい言葉を一つ引用。
検索するな、他人の知識に頼るな。肉体を忘れるな。身体性を忘れるな。うーん、いい言葉だ。
ネットワークにつながって体が地球サイズにでかくなったような感じとか、Webでなんでもできる、というような仮想的な万能感てのは「身体性」の間逆の発想なんでしょうね。「Webで町おこし」とか「Webで人助け」とかそういうのに関わる時は、よく注意しようと思いましたw
それにしても、30代40代の宇宙への指向って、一体なんだろうね。やっぱりヤマト・ガンダム世代なのかなー。
エンジニアって言ってもL4から上だけの人と、L3から下もやる人ってやっぱり雰囲気違うよな、と思った次第です。とにかくものすごく読者を選ぶ小説だと思いますが、これが心にヒットする人にはずっと手元に置きたい一冊になるんじゃないでしょうか。
ということで、オススメです!