
そもそもガンダムと言っても、TV版のガンダムとOVA版の0080と08小隊くらいしか見せていないので、イベント会場で行われたガンダムクイズとかは全然わからなかったようです。普通のガンダムならぜんぶわかるのに、と残念そうな秋月。
そういえば00とかUCとかシードとか最近はまたいろいろあるんですってね。
私もおしゃべりが過ぎるせいか、あちこちで
「ガンダム、好きなんですよね?」
とか
「ぼくガノタなのでお話ししましょう」
とか怖いこと言われるんですが、どうも貼られたレッテルが一人歩きしているような気がします。
わたしなんかガンダムなんて恥ずかしながら上記くらいのしか見ていないんですよ。0083とかわけわかんないし、カントクオリジナルのZもちらっと見ただけ。ZZはそもそもアニメじゃないんだそうで全然見ていませんし、なにしろ内ゲバばっかみたいですね、あのへん。
以前のWEB2.0とおたく的「濃度」では、おたくの偉さを「濃い薄い」で論じた訳ですけれどもなんかすっきりしません。なんで他のガンダムが好きになれないんだろうなあ。
こないだおたく評論家の岡田斗司夫のポッドキャストを聞いていたら、やっぱり岡田氏もTV版原理主義者だそうで、そのあたりを
「小乗ガンダム」
というすばらしい表現で語っていたので、私も自分の志向が腑に落ちたような気がしました。要するに私も岡田氏と同じようにア・バオア・クーで大破したあのガンダム以外のガンダムを内心で認めていないようなのです。
ガンダムは少年が成長する物語ではありますけれども、じゃあ少年が成長すると何になるのか。
普通なら
「大人になる」
と言いそうなものですが、富野カントク的発想としては少年は成長して「大人」になるわけではなく
「悩む青年になる」
というのがガンダムにおける実相であったというのです。
確かに「Zガンダム」や「逆襲のシャア」などで描かれるシャアやアムロはすこぶる格好悪い存在です。
それは
「悩む青年」
であるから格好悪いのではなく、様々なものに妥協し、意に沿わぬことにもしかたないじゃないかとうなだれながら目の前の現実と折り合いを付け続ける
みっともない「大人」
になってしまったから格好悪いのです。悩み、傷つく青年となること、そここそが少年の成長の出口であると描いたのが「ガンダム」の物語ではなかったのか、と岡田氏に言われていろいろなことがわかってきた気がします。
その点から考えると「ガンダム」という機体は、少年がさまざまなことを学び、そしていつか惜しげもなく捨てていく少年期の風景そのものであるべきなのです。だからこそア・バオア・クーでアムロは長い間一緒に戦い続けた愛着あるマシンのはずのガンダムを、あたかも消耗品を使い捨てるかのようにあっけなく乗り捨て、ジオングと相打ちにさせることができたのです。それがあの「ラストシュート」の意味であるとしたら、「ガンダム」という機体そのものをあがめたてまつることは、カントクの本意を見逃しているのではないかとも思えます。
岡田氏の論は続きます。
アムロはア・バオア・クーからコアファイターで脱出した後、「自分の居場所」すなわち「生きる意味」を見つけてコクピットから仲間のもとへ翔び、そこで物語はエンディングを迎えます。
そこでカントクが最後の最後に描いたカットは、主人公であるアムロやその仲間などではなく、無人のまま遠ざかっていく大破したコアファイターでした。少年が青年へと成長する過程で打ち捨てられていくなにか、それこそがガンダムではなかったのかと言う論にはうならされます。
そして少年を見送った後に放棄された、その一見完全に死んだ様に見えるコアファイターのコクピットでほんのわずか輝いているランプの描写。まだ完全には死んでいないガンダム。そのワンカットにカントクは巣立っていく少年を見送る自身の姿を投影していたのではなかったのかと。
その後もサンライズと富野カントクはたくさんのガンダムを作る訳ですけれども、これだけのものを描いてしまった後に、いったい何を付け加える必要があるのでしょうか。そこにはマーチャンダイズですとかマーケティングですとか、そういう大人の都合に乗らざるを得ない格好悪いシャアやアムロ、そして富野カントクの姿しか見えないのです。
岡田氏は、ガンダムのTV版のみを徹底的に追及し、そこから悟りを得ることを仏教になぞらえて
「小乗ガンダム」
と名付けました。逆に
「あれもガンダム、これもガンダム、みんなガンダム」
ですとか、たくさんのイベントに参加して、グッズを買ったりすることで消費者の誰でもが簡単に極楽浄土へ行けるとする考え(笑)が
「大乗ガンダム」
だそうです。どっちがいいとか悪いとかではないのですが、まあそういう指向があると。冗談ですけどね。
その伝でいうと私はまさに小乗ガンダム派なので、秋月には申し訳ないのですが、こういう大乗ガンダム系のイベントはちょっと苦手なのです。
多分こういうことが下地にあったから、例の1/1のお台場ガンダムとか、それに興奮する人々を違和感を持って見ていたのかもしれません。1/1ガンダムで喜ぶのは、要するに偶像崇拝と考えればわかり易いんですね。小乗ガンダムでは偶像崇拝は禁止。機体そのものには意味はなく、ガンダムは少年が捨てていくべきマシンなのです。
繰り返しますが、いい悪いじゃありません。こういう考え方もあると知ると、いろいろなものに説明がついて楽しいのです。
またTV版のDVD見返したくなっちゃったな。何度目だ。
そうか、そういう考え方もあったか。
と、行き詰ったいる私にはちょっと良い展開かも。(ガンダムの話じゃないよ)
相変わらずオタキングに100点あげちゃうもんね。
徹底的に行きましょうw
オタキングにはいろいろな思いがあるのですが、現在再評価中です。