秋月は生まれてから一年だけ、病院の託児所に預かってもらっていました。本当は3歳までいてもよかったのですが、雪風が善光寺保育園の年長さんになってしまい、一年くらいは秋月と一緒に登園するといいかな、と1歳児の時に善光寺保育園へ移ったのです。
昔の託児所を見に行きましたら、もう新しい建物に建て替わっていて、古い建物は物置になっていました。時々わたしもここに子供の迎えに来たので、懐かしい場所です。
秋月は「この板べいはなにかおぼえている気がするな」等と言っていました。0歳児の時の記憶があるのかどうか、ちょっと疑問ですが、勘違いでもそういって懐かしがってくれるのは父もうれしいです。
母は小児も見ているので、母の職場にはたくさん子供のおもちゃがおいてあります。子供たちは「母、おもちゃたくさん持っていて、いいなあぁ。ぼくたちも働きたい」と何か勘違いしたことを言っています。
たまには親が働いているところを見せるのも大事だよね。
でもコンピュータ屋なんて、見てても面白くない仕事だよなー。もっとわかりやすい「昼間のパパ」の仕事だったらよかったな。
気を付けないと誤解されるの。
やっぱりお仕事てのが抽象化してどんどん役割が分かりにくくなってる気がします。
「とうちゃんがあの橋を作ったんだぞ」
とか
「このお米を作ったんだぜ」
とかそういうわかりやすい成果物がある仕事がたまにうらやましくなったり。
後輩が作品ね。