2010年10月10日

FX-502Pの変革

 週刊文春を読んでいたら、福岡ハカセこと福岡伸一氏の「福岡ハカセのパラレルターンパラドクス」が目を引いた。

 曰く、若者はいつでも変革の中にいる。50年代のジャズ、60年代のロック、70年代は歌謡曲の時代。では自分はどんな変革の中にいたか、と考えると、「パソコン」という変革の中にいたという。

 余談ではあるが私はいまだに「パソコン」という言葉に慣れない。私の学生の頃はあれはみんな「マイコン」というもので、初めて「パーソナルコンピュータ」=「パソコン」を自称したのは確かFMという略称で呼ばれる以前、「Micro8」と呼ばれていた富士通のFM-8ではなかったか。要するにパソコン=お堅いマイコンだったのだ(FM-8とFM-7の持つアーキテクチャ以外のマーケティングの相違というのも今思う以上に異なるものだった)。

 その辺の当時の皮膚感覚というのは、ちょっと今時の人には説明しにくいのだけれど、「FM-11やFM-16βなんかでは、FLEXとかOS-9のLevel2とかが走ってた」といえば、BASICやアセンブラで作られた芸夢狂人の平安京エイリアン打ち込みたい、という人間にとっては少々敷居が高かったというのもわかってもらえることだろう。その「パソコン」が更にずれた意味として用いられる現在の「パソコン」という言葉などは大層気恥ずかしくて口に出せないのもしかたがなかろう。今の私にとってはあれらはもっぱら「マイコン」であるし、現在のパーソナルコンピュータは「PC」としか呼びようがないのだ(Mac除く)。

 閑話休題、そんな福岡ハカセが初めてIT(とは言わなかったが)の洗礼を浴びたのがCASIOのFX-502Pだというのだ。なんということだ。私と同じではないか。

 70年代の終わりだか80年代の初めの頃、確かあれは高校の時の同級生のタカハシ君が最初に買ったものだった。彼は後に新聞配達のバイトでお金をためて、当時14万8千円したMZ-80K2Eを買うことになるのだが、その時に最初に使っていたFX-502PをカセットI/Fごと私に譲ってくれたのだ。いくばくかの代償も渡したような気がするが、それがいくらだったのかという記憶は今となっては定かではない。

 で、このFX-502Pが私にとっての最初のプログラマブルなガジェットになった。ずっとのちにPalmを持ち歩くようになるのだけれど、最初の最初はマイコンじゃなくってこういう携帯端末ぽいガジェットだったのだな。マイコンのほうはというと、ずっとナイコン(マイコンを持っていない人)のままで、自分のマイコンを買うのはずっと後、大学に入った後でのMZ-700の中古購入を待たねばならない。

 FX-502Pは「Fx」というネーミングからもわかるように、要するに関数電卓だ。ただしインプットとアウトプット、何本かのメモリがあって、その間の計算を手続き型のプログラムとしてストアできる。確かプログラムは10本保存できて、それぞれステップ数の上限もあったような気がするが、それはまあいい。機械語ともBASICとも言えないような言語であったけれども、それでも条件分岐やループなどの制御もあり、授業中はひたすらフローチャートを書きながらノートにコードを書きだしていたりしたものだったのだ。

 工学社の月刊I/Oにはプログラム電卓のコーナーがあって、今でいえばPDA扱いだった。プロ電コーナー。懐かしい。内部の抵抗を交換して高速化するという裏技があって、そんなおもしろそうなことは当然やらないはずがない。はんだごてをコンピュータ基盤にあてる、というバチあたりなことを、こいつではじめてやりました。私だけのスペシャルマシン。

 今思えば全く以て貧弱なマシンではあったのだが、私にとってはそれは人生が裏返るような体験だった。手のひらに収まるコンピュータ。自分のプログラムしたとおりに演算を続ける、僕のマシン。こうやって人生が裏返り続けて今の自分がある。あれから何度裏返ったかわからないけれども。

 同じ思いを502Pに持つ人がいるとは思わなかった。

 福岡ハカセ、急に親近感を持ちましたよ。
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