
普段、戦争の道具や人殺しの道具をかっこいいのわるいの、いかしてんのだせぇのと、そういう目で見てしまう自分ですが、たぶん実際に60何年前に生きていれば、五式戦で敵艦載機と渡りあったり、四式狙撃銃で敵狙撃兵と壮絶な撃ちあいとかしているよりも、十中八九この本に載っているような平凡な生活をしていたり、あるいは寄稿する幸運を得ることもなく名もない市民として歴史の陰に消えて行ったりしたんだと思います。そういう自覚はあるんだ。
ここにあるのは、素人が書いた生の生活の記録。疎開生活、極限の食生活(毎日の献立リストつき)。子供の遊び。交通機関、病院、学校、闇市の記録、信じられるはずの人間に裏切られる経験。どれも身体感覚に一番近い所で書かれた貴重な記録です。これが一般市民にとっての戦争なんですね。「特攻」とも「集団自決」とも違う圧倒的多数の人々の「戦争」の記録です。
いろいろいうと自分のなかの一番複雑なところを全部語らないといけなくなってしまうので、まあ深くは語らないことにして、何度読んでも一番心に響く花森安治のことばを引用します。
戦争の経過や、それを指導した人たちや、大きな戦闘については、ずいぶん昔のことでも、くわしく正確な記録が残されている。しかし、その戦争のあいだ、ただ黙々と歯を食いしばって生きてきた人たちが、なにに苦しみ、なにを食べ、なにを着、どんなふうに暮らしてきたか、どんなふうに死んでいったか、どんなふうに生きのびてきたか、それについての、具体的なことは、どの時代の、どの戦争でもほとんど、残されていない。
その数少ない記録がここにある。
いま、君は、この一冊を、どの時代の、どこで読もうとしているのか、それはわからない。
しかし、君がなんとおもおうと、これが戦争なのだ。それを君に知ってもらいたくて、この貧しい一冊を、のこしていく。
できることなら、君もまた、君の後に生まれる者のために、そのまた後に生まれる者のために、この一冊を、たとえどんなにぼろぼろになっても、のこしておいてほしい。これが、この戦争を生きてきた者の一人としての、切なる願いである。 編集者
ずっと一冊持っていましたが、数年前、子供達に読ませるようにもう一冊買っておきました。子供の数だけ買っておくべきか。
なんとなく、今日エントリーしたくて、お休みだけど更新してみました。
時代が違うけれど、根本の気持ちは同じだと思う。
私は残すのはDNAだけと決めているので、残しません。
でも大事な記録なんだよん。いつか成人して子供を持った彼らが父の思いを読むようなこともあるかもしれませんねー。
さて、今朝の毎日新聞で「暮らしの手帖」第96号「戦争中の暮らしの記録」の紹介を目にしました。小生恥ずかしながらこの特集を知りませんでした。勿論その後書籍化されていたことも。ググってたら、貴兄のブログに辿りつきました。
私もガキの頃は田宮の1/35独軍シリーズのプラモに熱中した口であります。兵器はカッコイイという対象でしかありませんでした。でも戦時中の話をよく聞かされた母も一昨年亡くなり、我が子たちに生の戦争体験を聞かせる機会が益々無くなってきたと少し危機感を抱いています。この本は是非私も手に取って読んでみたいと思いました。
ご無沙汰しています。最近絵本関係には新たな発見がなくてちょっと駄目な私です。子供が大きくなってきたからかなぁ。ブンブン関連はとても面白いジャンルなので、忘れずにチェックしたいです。
さて、「戦争中の暮らしの記録」ですが、記事で引用した花森安治の編集後記がすべてを言いつくしていますけれど、一般人のなんてことはない、それでいてその時その場所でしかなかった「普通」の生活の貴重な記録です、
ブログもウェブサイトもSNSもなかった時代に、一般の人がたとえ稚拙であっても、この事実を書き残したい、と筆を執った原稿です。ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思います。