ふとしたことで罪を犯してしまった青年が、懲役の代わりに新しくできた「消失刑」を選択するお話。
「消失刑」てのは、特殊なデバイスを使って他の人と「コミニュケーションが取れない状態」になって、自宅で自由に過ごし刑期を勤めるという刑。他人からは見えなくなるし、こちらから他人に声をかけたり存在を誇示したりする行為が出来なくなる刑です。「コミニュケーションが取れない状態」というのは思ったより辛そう。
SF的な考証としては、突っ込みどころ満載なのでしょうが、一般の小説としてはこのくらいでも成立するかなと言う感じ。
前作(だったかな)の「メモリーラボへようこそ」などでも感じたのですが、「カジシン」という名ですぐに連想するような、胸が締め付けられるようなせつない小説では、もはやなくなっています。昔の「美亜へ贈る真珠」とか「百光年ハネムーン」とか「時尼に関する覚え書」とか。「黄泉がえり」がやっぱりターニングポイントだったのかな。
「メモリーラボ」では「記憶」がテーマでしたし、「ボクハ・ココニ・イマス」ではコミニュケーション。人間の本当に大切なもの、本質に至るものをつきつめているようにも思えます。もしかするとカジシン本人が最近大病をしたこととか、関係があるのかもしれませんが、 いよいよもって「円熟」という言葉がふさわしくなってきた感があります。
中で起こる事件、かなりどぎついですが、時代の反映なのかな。ちょっとびっくりです。
エンディングは素晴らしい。ありきたりなのでしょうけれども、ここは昔を思わせる実にリリカルな幕切れでした。