
いったいあれは何の話だっただろうと他人に話すと、「少年、鮨」というキーワードをきいた途端に誰もが
「それは志賀直哉の『小僧の神様』に違いない」
と答えたものでした。
志賀直哉は読んだ覚えがなかったがなぁと思いましたが、あまりにも誰もがそういうので、十年ほど前に岩波文庫版の「小僧の神様」を買ってみたことがあります。
読んでみましたが、うーん、なんとなく違う。鮪のあぶらみ(とは要するに大トロ?)はおいしそうだし、一回持ったのを置いちゃしょうがねぇなぁと職人に嫌味を言われる場面はトラウマになるほど痛烈なシーンではあるのですが、一番印象に残っている部分、少年が通ぶって、しょうゆのついた指を暖簾でふいて出てくるところが「小僧の神様」にはないのです。
「しょうゆ のれん 拭く」なんてキーワードで検索してみると、やはり同じ思いの人がたくさん見つかります。
776 名前:大人になった名無しさん [04/08/27 15:47]
電車を降りて、駅2つ分くらい歩き、浮いたお金で立ち食い寿司を食べるのを楽しみにしている少年が、ある日、駅でつり銭を間違えられ、そのお金をねこばばしたことを気に病む話。立ち食いすし屋(?)から出るときに、醤油で汚れた手をのれんで拭くのが通だとか、釣りを間違えたごく若い駅員には、きっと病弱な妹がいて・・・とか、そういう感じの話だったんですけど、どなたか詳細を知ってる方いませんか?
777 名前:大人になった名無しさん mailto:sage [04/08/27 20:08]
>>776
あ〜なんか読んだ覚えがあるけど、思い出せねー!
とか
720 :無名草子:04/09/26 16:19:28
あ、あと、これもやっぱり題名を覚えていないんだけれど、立ち食い寿司を食べたあとの、醤油で汚れた指を暖簾できゅっと拭くのが粋、というシーンがあった話があったんです。
「小僧の神様」じゃないかと言われたんですが、ちがうのです。
同じ話の中に、汽車の中で食べるコッペパンが、寂しさを増幅させるんだけれど、私にはそれがとっても美味しそうで。
教科書に載っていたような気がするんですけれど、食べ物のところしか記憶に残ってない・・・。
ほらね。
小憎の神様 - ひとつでじゅうぶんですよ わかってくださいよ - 読丸電視行でも取り上げられています。関係のあるところがほぼ大部なので全文引用になってしまうのですが、
雑誌「dancyu」2009年2月号*2の「私的読食録」(角田光代)で、こんな風に言及されていました。だそうなんです。角田光代だって気になってるそうなのです。
立ち食いの寿司屋から出る人が、指についた醤油を暖簾の隅でついと拭くから、そこだけ薄茶色く汚れているのだと、そんな記述があったように思ったのだが、そんなことは一言も書かれていなかった。暖簾の描写もなかった。
この記述、私にも記憶があるのです。国語の授業で先生が「暖簾を汚す」という行為の重大さを教えてくれた記憶もあります。そんなわけで、十数年(数十年?)ぶりに再読。
雑誌で紹介されていた岩波文庫版*3ではなく、新潮文庫版で読み直したのですが、確かに、暖簾で指を拭く記述はありませんでした。
そんな細部を書かずに見せてしまう、くっきりと記憶させてしまう。やっぱりすごい小説なのである。
他にも同じ記憶を持っている人がいる*4 *5ので、おそらく改訂で削除されたのだろうと推測しますが……真相はどうあれ、飢えた子供心に寿司の美味しさを植え付けたこの小説は、それだけでやっぱりすごい小説だと思いました。
それにしても削除なんてするのかなぁ、と近所中のブックオフを回って、日本文学全集を版違いで4種類、「小僧の神様」を確認して回りましたが、どこにものれんで指を拭くシーンはありませんでした。ここに至り、さすがに私も気が付きました。探しているのは「小僧の神様」ではないのだ、と。
で、その後も私としてもずいぶんと呻吟したのですが、ある方が、
「もしかして、それは安岡章太郎の『幸福』という話ではあるまいか」
と言ってくれました。
あらすじをぐぐってみると、
5円もらってお使いに出された学生が、駅員が釣銭を間違えたおかげで5円余分に手に入れる。これで何を食おうかといろいろ妄想するのだが、考えた挙句駅員に正直に返してしまう。幸せな気分で帰宅すると、最初に貰ったのが5円ではなく10円だった、というオチ。
そう!これです。
駅員とキップ。確かに記憶にある!昔は国語の教科書に載っていたそうですが、最近では載らなくなってしまったのだそうで。
そうときまれば読んでみるしか。アマゾンで注文したら中一日できましたよ。安岡章太郎「慈雨」の冒頭にある「幸福」。
一読して思い出しました。私に鮨のうまさを教えてくれたのは、まさにこの一文でした。
もう、鮨んところだけ引用しちゃいます。
それよりも僕は最近、鮨の立ち食いの味をおぼえていた。九段の中学校から歩いて二十分ばかりの距離の、狭い横町を入ったところに、小さな屋台を出した鮨屋がある。僕は学校のかえりにそこへ寄り、中トロの鮨を食うのがなんとなく好きになった。竹の茶こしでいれたお茶を大きな湯のみで飲んでいると、もう中学生ではなくなった気分になる。帰りがけにショウ油でよごれた指を、のれんの端でふいてでてくる。そしてスマした顔でカバンを抱え、本当は飯田橋から乗る電車に市ヶ谷から乗って家へ帰る。これですよ!これ。やっぱりうまそうだなぁ。
それにしても振り返ってみれば、いかに多くの人がこのシーンを「小僧の神様」と取り違えているかというのは、驚くほどです。少年、鮨と来ると、もう志賀直哉しか出てこない感じ。わたしもうっかりしてたなぁ。
ということで何十年来の疑問が氷解した今は、本当に「幸福」な気分でいっぱいです。
もしアラフォーな人が鮨屋の暖簾を汚して歩いているとしたら、その責任の一端は安岡章太郎にあるね。
なにはともあれ、回転していない鮨屋に行きたくなりました(笑)
近藤氏というと、なんか犬関係の本しか読んだことないです。遠藤周作はかなり読んだですけど。
やっぱり安岡章太郎の鮨のシーンは多くの人の心に影響を残していると見た!
私も狐狸庵先生は結構好きでした。もっとも私はマンボウ派。
近藤啓太郎の『海』という小説が妙に気にいって、「千葉勝浦に住もうかと本気で考えた20代。」な過去があったりもします。
すみません。つまらん話を長々と。
私も「夜と霧の隅で」とか「楡家」も読みましたけれど、中学生くらいの頃は「マンボウ航海記」とか「さびしい王様」とかにはまったほうです。
中学の図書館で「さびしい王様」を借りた時、たまたま貸出をしてくれた若い女性司書先生が
「人間、だれだってさびしいのね」
とうつむきながらポツリと言っていたのが、今でも耳に残っています。
全然関係ない話ですみませんでした。
ご指摘ありがとうございました。
胸のつかえがとれました。
コメントありがとうございます。
こちらこそ大部の文章を引用させてもらってすみません。
読丸さんの記事を読んで私も調べに走ったので、こちらこそインスパイアをありがとうございましたとお礼を言わないといけません。
ありがとうございました!
コメントありがとうございます。
私も突発的におすし食べたくなりました(笑)
鮪のあぶらみ食べたーい。
コッペパンの話しはひょっとして外国の列車の中の話では?コンパートメントの中での塩味のハムを挟んだパンを食べる場面があったような…
早速、「慈雨」を取り寄せて読んでみました。
あーこれこれ!と長年の胸のつかえがとれました。ありがとうございます!
でも、コッペパンは別のお話だったんですね。
外国の話というヒントをいただいたので、また探してみます。