◇「棚から本マグロ」の驚き本マグロ、相変わらず面白すなぁ。
■シンガー・ソングライター 中島みゆきさん(57)
日本を代表するシンガー・ソングライターの一人。だが、受章については「思いがけずうれしいことの表現に『棚からボタ餅』と申しますが、今の私の気持ちは『棚から本マグロ』くらいの驚きでございます」という。
「ふつう、何かを頂けそうな場合には2度くらいは辞退して、それでもとおっしゃるならちょうだいするのがマナーなのでございましょうが、褒章となりますと『ふつう』ではないことですので、辞退なんかしたら二度とこんな機会はないかもと思いまして、即座に『いただきます!』と、お返事してしまいました」【川崎浩】
知人で「世情」を書いたみゆきがクンショーかよ、とか批判的に言う奴がいるけれども、それはちょっと表層的かもしんないと思う。あの歌は左翼シンパというよりは、そういう立場にいたものに対する判官贔屓なんじゃないかと思っているのです。そもそも中島みゆきは反体制に軸足ないでしょ。反体制、というよりは弱いもの、マイノリティなものを見つめているだけなんじゃないだろうか。
色々なものに「負けて」「変わっていく」ものたちを見るみゆきの目は物悲しいが、とても優しい。
「世情」が「腐ったミカンの方程式」のバックで使われたのは1981年。
あれはね、学生運動そのものを歌った歌ではないと思う。1981年にリアルで番組を見ていた自分が最初に思ったのは、「なんで今さらこんなものが?」という疑問だった。当時既に学生運動は過去の話だった。中島みゆきが「世情」を80年代に歌ったということは、その時代は要するに60年、70年安保を経験し、それでも色々なものに負けて、変節して、変わらざるを得なかった者たちへの総括を行うべき時期だったということではないだろうか。みゆきのスタンスは活動それ自体への批判ではなく、中で生きていた人々の帰し方、行く末に対する思いを歌にすることだったのではないだろうか。きわめて第三者的ではあるのだけれど。
変わるもの、変わらないもの。それは政治であったり社会であったりすると受け止められるかもしれない。けれど、やはり変わったり、変わらなかったりするのは 中の人それ自体だと思う。だから「世情」のなかで歌われる「変わるもの」と「変わらないもの」も、前者が「左」で「善」なるもの、後者が「右」で「悪」であるものというような簡単なものではないだろう。「変わらないもの」を責めるのか、「変わってしまった者」を責めるのか。あなたは一体どっちだ。
それが「学生運動」「政治活動」などという極端なものでなくてもいい。例えば食っていけないからという理由でギターを辞めた友人がいる。休日の午後、その友人とぼんやり過ごしながら、変わってしまった友人の姿に失望しながら別にそれを責めることもせず、別れた後には今夜はどんなにメジャーの歌を弾いても、しめっぽい音がでるだろうとギターをつま弾いて残念がってくれる。そんな「変わらざるを得ない」俺たちにも「愛している」と云ってくれるみゆきがやっぱり必要なんだ、と改めて思う。
受勲、おめでとうございます。
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でもいいです、中島みゆきは。それで。