今月末からアラスカへ行くのだけれどなんて恐ろしい。そんな予感が走る時もあるのですね。
それまでは、北海道をしっかり目に焼き付けておこうと思う。
と何故こんなことを思う様になったのだろう?
毎年のアラスカ飛行は、普通に何ともない感じで
やっている様な気がしていたが、
よく考えてみれば、「大変危険なこと」
であることはもっと自覚すべき
と思う様になった。
これは、ある程度慣れてきたからだろうか?
死を意識しだしたのかもしれない。
「今年あたりは、危ない」
となんとなく自分のなかの第六感がざわついている様な気がする。
無駄なフライトはやめておこう。
飛行にはくれぐれもご注意ください。
飛行士の最も優先すべきことは、「死なないこと」その通りです。あのロック岩崎氏だって死んじまったんです。何があっても生きて帰ってください。
これに尽きる。
死んでしまっては、どうしようもない。
RTBは至上命令です。
すべてのパイロットが無事に地上へ戻れますように。
【飛行機・ミリタリーの最新記事】
ランディングギアを見るたびにこんな細い
足で大丈夫かな?と不安に思うことしばしば。
旅客機はギアを降ろしているときは無駄金を
使っている時と評した人がいました。
でもね、着陸した瞬間を見たり旅客シートで
体験すると とても安心した気分になります。
すべての飛行機が無事着陸できますように。
しばらくすると怖さが分かってくるんですね♪
不吉な予感を感じる第六感も、データの積み重ねで、だんだん「どうせこんなことが起きるに違いない」って働くようになるんで〜し。
「どんなに感覚を研ぎ澄ましても感じ取れない落とし穴は必ずあるんだよ」って教えてますけど。
足をひっこめた状態をモデラーは「極楽鳥状態」なんて言ったりもしますけど(横山宏だけかw)、やっぱりそっちが自然なんですよね。機体設計上も「足」ってのは単なる邪魔者扱いで。
やっぱり地上にいるのが無事な状態なのですが、自然なのは空にいる状態という、矛盾した機械ですねぇ。
>SSNあじ様
私は一回も自分で飛んだ事ありませんけど、なんとなくおっしゃる意味はわかるような気もします。仕事も子育ても同じことですね。
あんまり命はかかってないけど。
よく仕事でやばくなって乗り込んだりする時に「まあ、ビジネスで命を取られたりはしないのだから」と気合を入れて行ったりしますけど、ああいう危険と隣り合わせの仕事の人には、そういう安心もないわけで、これはやっぱり大変ですね。