そもそもSFを書きたかったのか、ミステリーを書きたかったのか、ファンタジーを書きたかったのか。それがよくわからない。
想像するに錯綜した状況が最後の瞬間、パズルのピースがはまるように消化されていく物語を描きたかったのではないかと思う。
それはそれで目的ははっきりしていたのだろうけれど、冒頭の
「平成19年の予約を、改元前の昭和時代に「平成」の年号で予約を入れた人がいる」
などという引きは不要なのではないか。しかも、この件についてSF的解決がまったく行われずに終わってしまうのは実に残念だ。この物語がどういうジャンルのものなのか、はっきりしないまま読むのは、こっちの身構えかたも決められなくて、なんだかすんごく気持ち悪いんだよ。
でも、この設定だけ取り出して工夫を凝らせば、もっと面白いものも書けただろうにと思う。カジシンなら、とかね。
この構成は、たとえて言うならブギーポップの冒頭のあの交差点のシーンのようなものを書きたかったのじゃないか。とも思う。多く人のそれぞれの事情が交差する一点。その一点を多数のシチュエーションを追って描く手法だ。
その割にはひとりひとりの書き込みと全体の構成のバランスを取り切れておらず、どのエピソードも唐突というか、ご都合主義と言われても仕方ないような展開で、読んでいてちょっと恥ずかしい。倒置法的な描写も少々くどすぎる。「不信車両」とか、患者の「様態」とか(「容体」を「ようたい」と思っているようなのである)、誤字も多くて読んでいていらいらする。編集者、なにやってんの。弾幕薄いよ。
不信感が最高潮に達するのは、最後のシーン、光雄が肉親と出会うシーンだ。あれだけ養子の光雄に献身的に付き添っていたはずの養母がまるっきり姿を現さないのはどうにも納得がいかない。
欠点の多くは編集者の力不足なのだろうけれど、結果としての出来上がりは実に残念でした。そのうちいつか面白いものを書くのじゃないかと長いこと期待しながら付き合っている大石英司という作家ですが、このままブレイクしないで終わるのか、とも思ってしまいます。
単に泣かすだけなら「第二次太平洋戦争」とか「第二次湾岸戦争」とか、あの頃の仮想戦記の方が、ずっとましだったのじゃないでしょうか。
えらい酷評になってしまいましたw