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2006年12月13日

階層社会における低所得層の固定化と子供の未来

 労働組合は物分かりが良すぎたを読んで。

 階層社会については星の数ほどの論がありますので、どれを取ってもいいんですが、まあ最近読んだのがこれ。まあ連合のおじさんのいうことなので あれですけれど。

 後のほうに出て来る。
高木 “いい大学”の学生の家庭は、豊かなところが多い。塾に行ける子供と行けない子供の格差が、そんなところに如実に表れている。
 てのはよく出て来る言辞ではあるけれど、子を持つ親としては結構どきどきする話ですよね。

 自分自身、塾なんて行ったことないし、たいした学歴があるわけでもない。たまたまの行き当たりばったりで人生送ってきましたもので、あまり大口は叩けませんぬ。でも、やっぱり自分の子供も塾にやったりとかはしたくないと思っています。
 自分の送ってきた人生に鑑みて、不要、と思うわけですが、よく注意しておかないと自分が生きる時代と子供が生きる時代は異なる可能性もあります。自分の意志の通し方と時代との兼ね合い、というものいちお考慮する必要はあるわけですね。ああ、俺、大人になったなぁ。

 今後も多分子供の塾通いというのはやらせないつもりですが、前述のような意見があまりに多いので、こういう姿勢を貫徹するのにもそれ相応の覚悟が必要なのだなと思うようになってきました。

 「塾にやらなかったこと」が親として無責任と呼ばれる時代が来るのでしょうか。

#来ても困らんし。
#子供の人生は彼のものであって、彼自身がなんとかするべき問題ですね。

 と、こうやって一応検討はしたので、将来の雪風には恨まれる筋合いはない、ということにしておきます。それ相応の覚悟完了!

 世の論者はあまりにも「機会」というものを重く見すぎているように思います。そもそも人生における向上心というのは、お金の問題じゃなくってね、「生きること」に対する意欲の問題だと思うのです。それを鍛えるのはお金とは別の話。お金があればあったで教育上困ることはないと思うけど。

 それがいつの間にか、

 「低所得層は文教予算が低い」
   ↓
 「お金をかけないので学力に差がつく」
   ↓
 「学力が低いので学歴も低い」
   ↓
 「学歴も低いので就職に不利」
   ↓
 「就職先が悪いので、低所得層の仲間入り」

 といった論法が、途中の説明や証明を吹っ飛ばして自明の理のように語られることに違和感を覚えます。ひとつひとつは十分あり得ることなのでしょうけれど、世の中全部がそういう風に流れる必然にあるのだろうか、と疑問に思います。みんな流されすぎだよ。

 勉強とか運動とか、将来身を立てるのに役立ちそうなスキルについては、うちの子はみんな真ん中よりちょっと上くらいです。特撮鑑賞能力とか、模型概念とかはかなり上の方だと思うのですが。

 政治家や弁護士や医者なんかが、自分の子供を同じ職業につけたがるあの執念というのは、さぞやおいしい商売なのだろうなぁと思わせるのに十分なわけですが、うちの連中は、おたくとして身を立てていくしかないのかなぁ(笑)。政治家や医者は遺伝するようですが、もしかして、おたくも遺伝するのか知らん。

 散漫なエントリになってしまいましたので、最後はオオタコーチのお言葉で締めたいと思います。

 雪風。 努力をしろ。 才能を磨け。 他に頼るな。
 いいか、自らの全身で感じ、頭で考え、心で判断しろ。
 世界で頼れるのは自分だけだ。
posted by delta16v at 08:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私論/暴論
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