SF者の末席を汚すものとして、いつもおおうなづきで読んでいるのですが、今日のエントリは、書くほうの話。要旨を引用するとほぼ全文引用になっちゃうのですが、
・一度は自分でも何か書いてみたことがある。
・実は一度どころではない。
・抽斗の奥底(あるいはHD)に、決して見せられない原稿が沢山埋もれている。
・長編は完成させたことがなく、ほとんどが短編である。
・二度と読み返す気が起きないので、手を入れる気にもならない。
・しかし歳さえ重ねればいつかすごいものが書けるような気がしている。
・それまでの修行としてblogを毎日書いているようなものである。
・でも電撃とかいう賞に応募することだけはプライドが許さない。
・たまに寝床に入った後などに『SFマガジン』や『幻想文学』でインタビューを受ける自分を妄想してみたりする。
・その中で国内作家など眼中にないなどと言ってみたりする。
うっきゃぁぁぁぁぁぁ
あ、あなたは私ですか!
小説を書くための基礎メソッドとか、「プチクリ」の教えに身を震わせるでも書きましたが、いつかはちゃんとした原稿を書けるようになりたいというやみくもな熱意だけがあります。
日々精進しようとは思っていますが、今のところこういうブログの駄文がせいぜいなわけで、そこへ持ってきて、
・それまでの修行としてblogを毎日書いているようなものである。とか言われてしまいますとーーー。
絶対に人に見せられない原稿、たくさんあります。
世界観(笑)と設定だけを書きたくて、そこだけが短編じたてになっているもの。戦闘シーンだけが延々と続くの。ひたすら会話体だけの。泣いてばっかりの。愛してばっかりの。
なんかもう思いつきだけですね。こんなの自分が死んだら消去されるようにしとかないと(汗)。
さっさとちゃんとした原稿、書こう。
#と時々こういう刺激を受けて、また駄文を積み上げてしまうのである。
そういえば「新人賞の公募を狙う」という行動は、「結果としてうまく受賞した場合以外は、作品自体は誰の目にも触れない」というメリットがあるのだな、とご指摘を頂いて思いつきました。
猛烈に後ろ向きな発想ですが、実際ありそうだなー、と思うのです。