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2006年10月24日

西暦、和暦と個人の「時代」

和暦 昨夜、夕食時に「父と母の子供の頃はね」という話になりました。最後に「...というのが昭和時代のおはなし」というと、雪風が「しょうわってなあに?」と聞き返しました。

 今年は何年?と聞くと打てば響くかのように「2006年!」と答えます。「和暦だと?」と聞いても「われきってなあに?知らないよ」といいます。

 日本の年だと?、とか、年の上になんかつかない?と聞いても雪風の頭の周りにハテナが飛ぶばかりです。

 毎日小学生新聞の上を見てごらん、というと、平成18年かぁ。とまあ知らないわけではなかったようです。

 年号については学校ではあまり、和暦には言及していないようです。私が子供の頃は基本的に和暦表記だったように思うのですが。
 これが現在一般の常識なのか、学校教育の場においてなんらかの思想的バイアスがかかっているのか(まわりくどい!笑)よくわかりませんが、和暦というのは時代を区切る場合に非常に使いやすいような気がします。

 日本史で習う年号もほとんど西暦表記ですが、より具体的、個人的な年代認識には絶対的価値を持つ西暦よりも、細かく区切れる和暦のほうが思い入れ強く認識できるようにも思います。

 昭和という時代も、だんだんに私の中で相対化されて、歴史の一部化が進んでいます。ずっとシリアルに連続した年代表記だと、世紀が変わるとかいうきっかけでもないと、こんなふうに時代を区切って認識するのも難しいのかも知れません。

 明治は遠くになりにけり、とはわかりやすいですが、1900年代初頭は遠くなった、というと詩情も湧きにくいですね。

 和暦にはそういう効用もあるのかもしれません。

 和暦がんばれ!
posted by delta16v at 07:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私論/暴論
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