先日秋月が、「今度、学校でジャムだんごをつくる」等と言い出したので、事情を聞いてみました。
よもぎだんごを作るので、なにか味をつけましょう。なにがいいか各自考えてください、とのことだったそうです。別のグループはチョコチップなんだって。
だんごにジャムはないだろう、ふざけちゃいけません、と秋月には注意して、連絡帳にもその旨書きこんだのですが、担任の教師からは、「子供の自由な発想を妨げてはいけないので、ジャムもやります」との返信。
うーん、どうなんだろう。
「自由な発想」と「非常識」は紙一重。「美味しんぼ」3巻「料理のルール」を思い出します。「ル・キャナルのシェフもそう言いたかったろう、鴨は血のソースで食べるのがルールだと」の一言。食は文化。文化を破壊するには相応の覚悟が必要ではないでしょうか。
美味しんぼ第3巻にちょっと載っています。
山岡は雄山を非難する。「本来なら、懐石料理の席でマヨネーズで食べようとは思わない。なぜなら日本の偉大なる文化である懐石料理を尊重しているからだ。それと同じ事でフランスの偉大なる文化であるフランス料理を尊重するから、カモをわさび醤油で食べるような真似をしたくない。他者の文化を理解しようとせず、嘲笑したり破壊しようとする人間は野蛮で下劣だ」だんごにジャムは、日本文化の破壊でしょうか。少なくとも、「イレギュラーである」という認識は欲しいところですね。
「型を知らねば、型破りもできない」と言ったのは歌舞伎役者の中村勘九郎。私の大好きな言葉です。
初等教育というのは、「サル」を社会的な「ヒト」にするために、百万の事例を以て子供を「型にはめる」時期だと思っています。個人の発想、ユニークな考えというのは、その一般常識を飛びぬけた先に出てくるもので、知識や常識のない段階の子供の思いつきを「自由な発想」と評価するのはちょっと違うのではないかと思うのです。もちろんエジソンやアインシュタインのような天才というのはいるのでしょうが、一般ピープルはねぇ、どうでしょう。
担任の教師はとにかく譲る様子もなく、議論はここ数日かみあわないまま平行線なのですが、とりあえず秋月には、
1.食べ物には和・洋・中の「食べ合わせ」というものがあり、文化は尊重しなければいけないこと。
2.食べ物でふざけてはいけないこと。
の二点はよく言い聞かせておきました。
どうなんだろうなぁ。
【子供の最新記事】