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2006年10月23日

年相応の年のとりかた

 文春を読んでいたら、酒井順子の書評が目を引いた。

 今の四十代がどれだけ「若者気分でいるか」ということについての考察だ。
それはつまり、「人生はまだ後半ではない」という意識なのであろう。まだ世の中に対する責任を取る必要はないし、これから自分の人生はどうとでもなるという感覚。
 その感覚は、四十歳になった私も持っている。「このような四十歳は、どこかおかしいのではないか」と思いながらも、青春期じみた感覚から、ずっと卒業することができない。
というくだり、なかなか反省させられる。まだ子供気分の自覚があるのだな。私だけじゃないのだな。そうだったのか。

 酒井氏の原稿、最後は小泉の顔と安倍の顔を思い浮かべて終わるのだが、昔あったトッチャン坊やという言葉を思い出した。あれは大人の顔した子供ではなく、年相応の顔を持たない大人を表す言葉だった。最近ではもう使われませんね。特に言葉にするほど珍しいことじゃなくなったからなのかも知れません。

 きれいに年をとること、それはとても大切なことだし、目標でもある。
が、童顔でもあるし(笑)、好きなこと、やりたいことがいつまで経っても子供っぽくて困ってしまう。我ながら。

 そういえば、ウルトラ警備隊の年齢構成を思い出した。第一話「姿なき挑戦者」でウルトラ警備隊の隊員たちはこのように紹介されている。
キリヤマ隊長......年齢38歳・隊歴16年・東京都出身
ソガ隊員......年齢25歳・隊歴3年・九州出身
フルハシ隊員......年齢29歳・隊歴7年・北海道出身・地球防衛軍きっての怪力の持ち主
アマギ隊員......年齢24歳・隊歴2年・名古屋出身・名プランナー
アンヌ隊員......年齢「あ、こりゃ失礼」・隊歴2年・東京都出身・ウルトラ警備隊の紅一点
うむ。

 とにかくキリヤマ隊長38歳、フルハシ隊員29歳にがくぜんとする。あのキリヤマ隊長の年を越えてしまった自分。そしてあの眉間の深いしわが男を感じさせるフルハシが二十代という設定なのだ。その後の四十年間で、これだけ人間の成熟に時間がかかるようになったのかと驚く。
 調べてみると、中山昭二氏は1928年生まれ、石井伊吉氏(毒蝮三太夫氏の本名ね)は1936年生まれだそうだ。脚本の製作月にもよるけれども、1967年制作であるウルトラセブンにおいて、ふたりの劇中設定年齢は、実年齢と一致していたと考えてよい。DVDを見て驚くがいい。あれが四十年前の三十代と二十代の姿だ。

 完全に脱線しているが、もうひとりの尊敬する大人な隊長として特車2課の後藤隊長の年齢も気になる。押井守の「注文の多い傭兵たち」中には
泉野明(21)
篠原遊馬(24)
熊耳武緒(28)
太田功(27)
進士幹泰(26)
山崎ひろみ(24)
香貫花クランシー(25)
後藤喜一(42)
南雲しのぶ(33)
榊清太郎(66)
斯波繁夫(34)
松井哲夫(41)
との設定が載っているそうだ。

 そうか、隊長と同い年だったのか。おれ。
 ・・・(無言)

 おとな買いという言葉がある。

「おとなであるはずの人間が、子供のものを大人の財布で買いあさること」で、実は私も何度かやったことがある。アニメ、まんが、まあこういうネットもか。以前は「子供のもの」と思われていたものに大人が傾倒することに、社会からの批判は薄くなった。いや、別に批判されなくなったわけではなくて、重要な消費者として期待されてしまっている、というか経済の一部として組み込まれてしまっているのに過ぎないのかもしれないが。

 なんとなくこのままでいてもいい。まだもう少しこの状態でいてもいいんだ、ということが、いろいろな「行列」に並びながら、自分のなかで渦を巻く。自己表現の多様化という口実の中で、真に向き合うべきさまざまな事柄がなおざりにされていく。

 十年単位に人は変わっていくわけではないのだろうけれど、自分がどういう五十代になるのか。それは四十代よりも成熟した自分として在れるのかどうか。何か非常に恐ろしく感じる。
 しかしながら、それではアニメや漫画や、その他もろもろの子供っぽい「モノ」を捨て去って、あるべき大人として明日から生きていけるかというと、それはまたそれで疑問形。
 自分の中のキリヤマ隊長や沖田艦長や後藤隊長やオオタコーチが今の自分を創ってきた大切な一部となっている以上、そういったものを捨て去って明日という日はありえないのではないかとも思う。

 「大人」なもの、「世間の常識」というものをぶっ壊して突っ走ったのはまず、団塊の世代だろう。彼らは良いモノ悪いモノをひっくるめて、さまざまな古い価値観を叩き壊して生きた。ぶっ壊しきれなかったものもあるし、その代わりになる新しいトラディションを作ったとはあまり思えないけれど「自分が正しいと信じる生き方を生きることの大切さ」は見せたと思う。

 俺たちは、じゃあ後に何を残せるのか。どんな顔をした、どんな考え方をする「大人」になればよいのか。
posted by delta16v at 08:01 | Comment(2) | TrackBack(0) | 私論/暴論
この記事へのコメント
こんばんは。


今日の記事、かなり胸に刺さりました。

我々は果たして何を見つけられるのでしょう。
Posted by 銀の蛇蜘蛛 at 2006年10月23日 18:50
いまだによくわかりません(笑)

最近のマイブームとして、周りの各年代の人々に、「心の中にある『おとな像』」というインタビューをしています。
特に団塊の人たちの感想に期待しています。

自分の内面と外から見た外見てのは結構違うものですし、私なんかも端から見るとちゃんとしているように見える向きもあるのかもしれませんね(笑)。実は内面ぐだぐだなんですが。
Posted by delta16v at 2006年10月24日 08:10
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