まあ、それはそれとして、誌面全体にわたってフィルムというか、銀塩の擁護記事で埋まっています。
もちろん私としてはあったりまえのことなんですが、どうもうさんくさい。赤城氏あたりはもともとデジタル音痴(失礼)でもあるし、フィルム擁護論はわからなくもないのですが、なにあれ 山田久美夫。
デジタルの先棒担いできたくせに、いまさら「銀塩もなくなっちゃ困る」とか「もともと銀塩から入ったし」とか、一体どの口で言うんだろう。
コンシューマ全体的に写真に対するハードルが下がっていると思います。もちろん取り付きやすいとか、気軽に入門できるというメリットもありますが、「写真(というかプリント)自体に対する評価が出来なくなっている」のは大きな問題だと思います。
ピンボケでも色が変でも、なんで文句言わないんだろう。画素数にはこだわるのに、結果のプリントが手抜きでもそういうものとして受け止めてしまうのは、消費者としての成熟が足りないのでしょうか。
まああれだ。テレビのニュースでは低レゾのmpegがそのまま垂れ流され、新聞の一面に無理やり拡大したjpeg画像が特ダネ写真として載せられるご時世。なにかこう低品質な画像というものにコンシューマが慣らされてしまったのではないか、と危惧しています。
思えば20世紀の終わりに写真を趣味としていた者は、おそらく人類史上において空前にして絶後の高画質なプリント(あるいはスライド)を画像としてみていたはずです。今後更にプリントの質は下がっていくと思いますが、そういったなかで、写真文化の爛熟期につたないながらもカメラ経験を積んだ者の一人として、
「これは美しいプリントではない!」
ということを大声で言うことも大切ではないか、と思います。
ああ、美しいプリントが欲しい!
銀塩、アナログと大きな声で言うと、どこぞから、「プリントはデジタルだよーん」と言われ、何かあざ笑われているような気もしてしまうのですが、今年もおいらは銀塩で行くつもりでおります。
オーディオが小型化→低音質化で利便性はあがったけれど質としては劣化方向で、業界が総崩れしたように、カメラもそういう道を歩むのでしょうか。んでオーディオの場合、マニヤ向け超ハイエンドは生き残ってて元気ですけど、銀塩もライカ、ハッセルあたりは生き残るんでしょうか。結論としては数年先かな?。
最終出力をどう考えるか、自分の写真をどうやって鑑賞するものなのか、そもそも自分にとって写真ってなによ、というのが日々問われているように思います。
ネガをラボに出した時のデジタルプリントの質自体が、まったくもってアレですし、そのへんのお店でコンシューマ向けのプリンタの出力サンプルなどをみてもゲロゲロな感じの色しか出ていないので、当面デジタル自家プリントなんてやる気もおきないのですが、もしあの辺で欲しい画像が出てくるのなら、面白くなるのかもしれません。その場合は撮影銀塩+スキャンして自家デジプリ、になるのかな。
まあ、今のところデジタルとその周辺の人々に対する反感が先に立っているので、やりませんが(笑